なんとなくメモ書き

遍歴でもまとめようかと思いましたが、とりあえずは最近の気づきというか解釈的な部分をメモしておきたいなと。

エゴ、消えなくていいんだってよ。
自己観察してても結構なんとかしたくなるやないですか(突然の関西なまり)
なんとかしたくなるやつもエゴではあるんですけど、このへんの立場というか視点って切り替わり早いんですよ。
見てるだけってのに慣れるのに1.5〜3ヶ月はかかったと思う(このへんの時間のかけ方結構曖昧)。
割といいことというか、「こんなんある?」みたいなことが起きてたから余計にそこにいなきゃ、早く叶えなきゃってのが出てきてたなあ。
再現しようとするんですよね、うまく行きだすと。特に本願とされるものに関してコントロールしたがる。
どこまでも「叶えるため」に自己観察してたんですよ。
復縁にしろ、復縁の苦しみから逃れるためにしろ、7章を目指すにしろね。
私はずっとそこから取り組んできたんですよ。
たまにその視点が外れても、すぐ戻ってきてた。そのくらい「うまく行くことを信じてなかった」とも言えるかな。

コントロールしたい事ってそうじゃないですか?
コントロールしたいという気持ちに隠れているのは「コントロールしなきゃうまく行くはずがない」っていう疑い?警戒心?だと思うんですよ。
だからずーーっと手放せなかった。
それでいいんだけどさ、いいんだけど「叶えるため」「コントロールしようとすること」から離れるための自己観察なんだよなあ( *¯ ꒳¯*)

これ読んで「そんなん耳タコっすわー!」て思うでしょ?チケッターとか引き寄せ界隈の人は結構思うはず。
そのくらい繰り返し言われてきてるし、何度も目にしてるはずなんですよ。
でも出来てないってことは、いい感じに読み飛ばしたりスルーしてっからねw
それかものすごい拒絶反応出るか。
だって大体の人間がチケットや自己観察に手を出す動機そのものなわけですからね。
簡単に手放すわけ無いですやんねww
「叶えるため」という姿勢を守り続けていたお前こそを自己観察して距離をとるべきだったんだYO!!

結局「叶えるため」を手放しきれなくてメンタルが悪化したり、現実をガン見して答えあわせ(証拠探し)という名の現実の奴隷様をしてたんだよなあ。
現実を変えるための!自己観察!だったわけです。
この場合の現実って、自分の思考やメンタルも含めてね。
たしか途中からは自己観察でエゴが黙るなりスルーできるなりしたら叶う(楽になる)って思ってたんですよ。
そうだけど、そうじゃねんだよなあ…。

個人的に、自己観察はオススメなんだけど自己観察さんのまとめ自体はあんまりおすすめしないです。
めっちゃ膨大じゃん?
あれ読むの大っっ変!あと読むほど「自己観察の実践そのものじゃなくて、自己観察で叶えた人」のこと見るようになる。
叶うメカニズムとか分析しだすし、「これをやれば叶うんだろ?」って姿勢が強固になる人もいるんじゃないかな。
私はなりました。ガッツリなりました。
素直に実践している時期はまとめも気に入ったのを一個か二個ブクマして読み返すだけで済むはずなんですよ。
今ここを読んでるあなたがどうだかわかりませんが、やたらブクマ増えてたら要注意だと思います。
でも心に引っかかる表現があるなら、繰り返し読むのもいいとは思います。
私はなにかこの記事(表現)気になる…ってのを頭の中でよくクルクルさせてましたが、いきなり腑に落ちたりしますので。
レジでお会計したり寝落ちする前とか散歩中とかにピコーンなりましたね。

自己観察の要点とかね、正直シンプルすぎてそんなにたくさんの情報はいらんのよ。
別の領域に浸るのが大事?そうなんかな?別の領域への信頼?どゆこと?
読めば読むほど自分の実践の答え合わせしだすから、適当に切り上げて一定期間自己観察してみたあとでまとめ読んだほうがいいかなって思いました。
特に実践なしでの考察とか検証とかは単なる「延期」「言い訳」です。

ここまでがまた下書きだったので、また話が盛大にそれる予定なんですけどw
最近思ったのが「よしおさんてちゃんとしてる人だったんだねw」ですw
よしお(447)さんって、自分とはじきかぶってないつもりだったのにまとめに私載ってるんですよねw
時期まるかぶりwでもスルーしてたなぁ…。
軽い口調の人を達人と認めない傾向があったのと、単純に小島よしおが苦手だったせいだろうと思いますw

改めて読み返したら、「そうだよ、関係ないんだよ。それが七章じゃんね?」とか思っているww
手のひらくるっくるで申し訳ないんだけど、よしおさんはわかってる人だったんだなぁ・・・(そうやって区別してるのがあかんかったわけだけども)

今も色々考えるわけですよ。
「言うても今かなってなくね?叶ってると思わなきゃダメなんじゃね?」→関係ねぇです
「もっと現実否定しなきゃだめなんじゃね?」→関係ねぇです
「もっといい気分でいなきゃ叶わなくね?」→関係ねぇです
もうちょい書いてみますか…。というか、夜中に目が覚めて思ったことをメモにしてたので貼っておきます。
これを心の中で叫んでるとき、私もよしおになっちまったのか…と思いましたねw
関係ねぇ!関係ねぇ!
何が見えてるか?あの人の態度?彼女の存在?自分の魅力? そんなの全部関係ねぇ!
叶わない(叶えない)ための言い訳は聞き飽きた!
結局あなた(私)が最後に何を選んでいるかってことなんですよ。 それは一番最初に選んでるものでもある。

特に私は「現実を無視する」というのが結構苦手でループ組してたのですけど、今起きている(と思っている)ことは、あくまでも自分(エゴ)の中での解釈・出来事なんですよね。
だから「自分の中でしか起きてない」というのは、その通り。
私たちは現実を見ているようで、自分の内側で起きていることを見ているだけなんです。
ただ個としての自分は風景の一部に過ぎない…とまで感じたとしても、目の前のリアリティには勝てなかった。
何度も「それを変えたい」という気持ちに突き動かされていた。
自分が見ている(と思っている)もの、それに対しての判断(変えなくてはいけないもの)を採用し続けてたので。
これを一発で突破できた人は本当にすごいなと思うのだけど、それは私の通る道ではなかったようです。
それに対しての焦りもあったし、現実(と思っているもの)と幸せを切り離すって「妄想でうふふとなってりゃいい」みたいなのとは次元が違うんですよね。
目の前の現実のリアリティを少しずつでも薄めていく、それは「自分の個としての認識(エゴとしての視点)を疑い続ける・エゴを見破り続ける」ってことなんだなと。

108さんのYouTubeシリーズ「不足を疑う」も、U4さんの「現実を疑う」も同じで、現実や不足って自分(個・エゴとして)の認識ありきですからね。
一時的な「わかった」も、そこを採用し続ければエゴにまみれていくんです。
それを理解しているつもりでも、自分自身をエゴだと思い続けているうちは、それが非常にむずかしく感じられます。
だから「難しい」「できない」「こんなの無理」って言ってるやつを、自分自身だと思っている幻想から離れていくのが大事なんでしょう。
瞑想や自己観察はそれを促します。
「観察すること」で自分の思考や感情に気を取られすぎないで、しんとした静けさにただ座っているのは正直つまらなく感じるかもしれませんが、それが私的には最短ルートではありました。

自己観察でいうところの「見ている視点」というのは、エゴからみると「つまらない」「こんなの楽しくない」「こんなんじゃ叶っても意味ない」とか言われるような場所です。
私は瞑想も自己観察も得意な方だと思いますが、それでもそんなエゴの「こんなんじゃ叶っても楽しくないよう!もっとウヒャーーーみたいな幸せが欲しいんだよう!!」という気持ちと手を切れませんでした。
幸福感は刺激だ。本当にそうなんでしょう。
私は無になりたいわけではないし、ドキドキしたりウキウキするのが好きな人間です。
それを「見ている側」になってしまうと、そういう気持ちも薄くなってつまらないなと感じました。
これまで特別だったものが特別なことじゃなくなるのは、つまらない。
刺激がない。ああ、私がチケットを手にして少し経った頃に感じた絶望は、これだったなと。

「叶えても叶えてもつまらない」「すべてが叶うとわかっているなら、そこには絶望しかない」
この絶望を感じていたのはもちろんエゴではあったのですが、昔から運がいいわりに普通以上にうまくいきかけると遠慮してしまうという自分がいたりして、まさに自作自演すぎるw
「私が幸せを受け取っていい条件」をこさえては、その努力に疲れていただけですね。
それこそ「叶えないための言い訳」だったわけです。
自分には何かが足りないとか、まだ早いとか、ふさわしくないとか。
七章に罪悪感の章があったのは、その「叶えないための言い訳」の多くに罪悪感が利用されているからなのかな、と。
「普通以上にうまくいく」というのは、一般的な常識から外れることなんですよね。
実際記憶をたどると私の運の良さというのは、ちょっと常識から外れてしまうような感じだったので。
それは嫉妬をかったりしやすいというwまあ、それも守ってくれる人がいたりしたし今考えたら別によくね?と思うのですけど。
当時は人から嫌われたりするのが異様に怖かったのと「自分だけ愛される」ことで近しい人への申し訳なさを感じていて、手放すことが多かった。
あと調子に乗って怒られるとかもあったかな??悪い人間になったようでw
まあいろいろ思い出してはいるのだけど、たいした努力もせずに得られる幸せ…その価値は私(エゴ)にとって、どれほど低くなるんでしょうか。
特別で大切なものが欲しい。ずっと愛せるもの、ずっと大切にしていけるもの、それはきっと「自分がかけた労力」によって極限まで高められるものなのだと、エゴが言っていたんでしょうね。
別にそうじゃなくていい。
そんなことをしなくても、私はそれを得ていいんだ。最初からあるから。

どんなに労力を注いで手に入れたものでも、飽きるときは飽きるでしょう。
ただ「これだけ頑張ったものを簡単に手放すわけにはいかない」なんていう執着は起こるのかもしれませんが。
一部の恋愛マニュアルでは、そういった心理を利用したものがありますね。
私は過去にそういうマニュアルを作成するお仕事をしていましたのでw、心理学というか人間の心理的なパターンを知っているつもりでした。
でもそれはエゴであり、自動思考・自動反応であり、視点に立つと意味をなさなくなるものでもあるのだなぁと、今は思います。
あれはまさに「こうすれば、こうなる」を利用したものですからねw

もう一人誤解してた達人さんはイウォークさんでしょうか。
あれも軽やかな文体で読みやすく、結構好きな人ではあるんだけど「そんなんできるか?」ってのと都合よく解釈してたせいであんまり真剣には読んでいかも。
「過去も感情も観念も全部関係なぁぁぁあい!!」でしたっけ。
違ったらすみません。
これも関連付けの放棄ですね。「ゼロになろう!」も同じかと。
この一言に凝縮させすぎて、全然要点をわかってなかったですわんw

過去は記憶によって今の自分を支えていますからね、イリマセンねw
感情は自分の認識から発生するサインですからね、別にイリマセンねw
観念は自動思考の元になったりするものでもありますけど、現実や過去の記憶なんかも反芻してしつこくこれまでの現実の延長としてイキロって言ってきますからね、イリマセンねwww

あなたは、何をもって「叶っていない」と判断していますか?
この問いかけは自分にとってしばらく反芻したいものだなと思いました。
この判断をしているのは誰でしょうか?エゴ(思考)です。
自分なりの言葉で表現しようとするならば、
自分の思考を信じすぎないでください。思考は勝手に沸いてるだけです。
「自分の」思考だなんて思わなくていいものです。
自分の感情を信じすぎないでください。感情だって思考や出来事に対する解釈に反応して起こっているだけです。
それは「自分の」感情なんかじゃありません。
「自分の」とか「自分にとって」という判断を信じすぎないでください。私たちはそういったものに、振り回されすぎているんだろうと思います。
自分の目の前に見えているもの・感じているもの、それは現実かもしれないし、現実じゃないかもしれない。
それを見て、感じて、ジャッジして、「叶っていない」「無い」「だから叶えたい」「(かなった思える現実を見る前では)叶えるために頑張らなくてはいけない」「私の変えるべき現実」という、変更に大変な労力が必要とされそうな幻をペタペタと固めているわけです。
ガッチャンさんの「全部エゴですガシガシガシガシ」でもいいですね。
起こっているのは、そういうこと。

私はもう疲れました。
ここまでエゴとダンスを続けるなんて思ってもみなかったですYO!!
エゴは消えていませんが自分に影響を及ぼさないなという感じになっていますので、探求はこの辺で終わりたいなと思っています。
まとめは気が向いたらしてみたいなぁ。

最後に昔から大好きすぎる達人さんのまとめでも貼っておこう。
いつ読んでもかっこよすぎるんですよねぇ、携帯さん。
ほんとかっこいい。
現実は認識に従う。これに尽きるなと。

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