太陽の塔の中に入ってきた
太陽の塔に行った!
ヤバいところだった!
僕はその前日まで3泊4日の勉強合宿で走り回っていた。朝4時に寝、6時に起きる日々。
合宿から帰った翌朝、弾丸ツアーで大阪に向かう。
寝不足で頭がガンガンする中、モノレールの窓から太陽の塔が見えた。
ヤバい!
何だろう?この圧倒的な非現実感は!
誰かが間違えて置いて行ってしまったような。
ミステリーサークル的な、異様な存在感。
近くに新しくできたというピカピカのららぽーとと水族館がより状況の可笑しさを引き立てる。
うん、これは可笑しいのだ。笑いに近いものな気がする。
太陽の塔に近づいていく。
昔、僕はスカイツリーをでかいだけでしょと切り捨ていたけど、現物を見たときに圧倒された。それに近い感覚が今回もあった。「芸術は爆発だ!」の奴でしょくらいに思っていたら、食らっちまった。
素人の写真でどこまでやばさが伝わるかわからないけど、まあやべえのよ。
太陽の塔内部は予約制なので、時間まで万博の博物館で時間を潰す。
1970年当時の、50年前の、最先端がそこにあった。掲げられた「人類の進歩と調和」というテーマも、現代を生きる僕には、新興宗教の教義か何かのようにうさんくさく感じられる。
彼らの熱狂も、彼らの希望も、50年も前なら別世界の話。アニメやマンガと変わらない。
時代に取り残されたように、現代にポツンと残っている。太陽の塔のおかしさの原因はそこにもあるのかもしれない。
いよいよ内部に入る。
早速通された先には、万博で展示された第4の顔のレプリカ。
万博終了後、行方不明に。今も万博公園の地下に眠っているかもしれない。
なんだ、その厨二心揺さぶるエピソード……。
そしてここからが、本番。
太陽の塔の内部を貫く、生命の樹。
写真は一階から見上げて撮ったもの。
何が何だかわからない……。実物も何も何だかわからないのでご容赦。
生命の樹のテーマは過去、現在、未来。一階の樹の周囲には、古代を生きた単細胞生物たちが表現されている。
樹の上部に行くにしたがって、三葉虫、恐竜、ゴリラと時代が新しくなっていく。その頂上にいるのは、人間である。
と、説明は色々受けたのだが、この樹から僕らが受け取るべきメッセージはテーマがどうとか、そういう構造がどうとか、という次元ではないんじゃないかなと思う。少なくとも僕が受け取ったメッセージは、
ヤバい!
である。
案内のお姉さん(どうやら新人さんっぽい)がぎこちない口調で、樹の上部のゴリラについて説明してくれた。
ゴリラの顔は内部の機械の部分が剥き出しになっている。50年の時の経過のままにしているからだ。
機械の部分は昔動いていた。ゴリラに限らず、恐竜やその他の生物も首を振ったり手足を振ったりしていた。
動物たちが動いていた。その当時の生命の樹を想像してみる。…………いや!ヤバいだろ!!キモイだろ!!
僕は比較的に芸術に当てられにくいタイプだと思っていたんだけど、生命の樹から出るときにはなんだか半分朦朧としたような気分だった。
この「ヤバい!」というのは、エネルギーに当てられた感覚だ。
読む人が読んだら怒られそうな例だが、ジブリ作品を見たときの感覚に近い。
生命とはエネルギーだ。それが過去から現在を通して未来に向けて、一つの樹として伸びていく。
しかも、それはきれいで整った形ではなく、むしろ不整合で、一つ一つが個を主張した歪な形で……。
生命というより、生命群。そのひとつひとつの鼓動が聞こえてきそうな気がして。やばいやばいと同行者に漏らしながら、逃げるように太陽の塔をあとにした。
小馬鹿にしていた、「芸術は爆発だ!」の意味がわかったような気がした。
太陽の塔は「生命の爆発」だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?