松江歴史探訪④ 2024.6.25(208)

 2日目は、松江の和菓子の名店にお邪魔しました。

1.      三英堂
https://www.tabisuruwagashi.com/blog/store/saneido/

「全国有数のお茶処である島根県松江市は、その深いお茶文化との繋がりから、京都・金沢と並ぶ3大和菓子処のひとつと言われています。松江駅に程近い寺町周辺は数多くの和菓子屋があり、和菓子文化を楽しむことができるエリア、その一つ、趣のある店構えの昭和4年(1929)年に創業した「三英堂」があります。

茶の湯を広めた茶人として有名な松江藩7代目藩主である松平治郷「不昧(ふまい)」が好んだという「菜種の里」は、菜の花畑に舞う蝶を表現した可愛らしい干菓子で、お店の代表銘菓、伝統的なものから、形式にとらわれないものまで幅広く和菓子を作っています。

伝統的な製法「しののめ造り」でできた皮むきあんの和菓子「日の出前」も、日本一の庭園と名高い足立美術館(島根県安来市)のお茶菓子としても選ばれています。手間暇を惜しまない職人技でできる和菓子はどれも納得のおいしさがあります。

四代目の岡さんは、自分達の強みを活かしながら、直接お客様に接することはもちろん、若い世代のお客様に和菓子の魅力を伝える機会を増やしていきたいと話します。和菓子が日常的に楽しめるものであるように、守るべきものは変えず、伝え方や表現は今の時代に合わせ変化していこうとしているのです。」

2.      風流堂
https://www.furyudo.jp/furyudo/

 続いて、風流堂にお邪魔しました。

「風流堂の起源を探るとそれは江戸時代まで遡ることになります。

最初は、新潟と松江間の回船業を営んでおりました。後に、風流堂の創設者となる初代内藤竹次郎が陸運の発達により海運業がすたれたため、商売替えでお菓子屋を始めたのが、明治23年(1890年)になります。各土地から多くの職人を招き、菓子作りの技法、味を学び、習得してきました。そのため、京(上方)菓子、江戸菓子を含め、様々な土地の菓子の製法が風流堂に蓄積されていきました。

また、松平不昧公好みのなかに、「山川」というお菓子があります。二代目隆平の時代、大正の初めに、当時の町の有力者の集まり”どうだら会”より町おこしの一環として、この「山川」の復刻を依頼されました。

「山川」の復刻には困難を極めました。江戸時代のお菓子である「山川」は、幕末から明治へ時代の変革の中で製法が失われていました。わずかに残された文献を読み、古老や茶人をたずね、原材料となる「寒梅粉」自体の製造をはじめ、ようやく約100年の時を経て、「山川」が復刻することになります。

そして、松江の名物にと、隆平は、この「山川」が誰でも作られるように、その技術を他のお菓子屋にも広く伝えていきました。

それもすべて、茶の湯が日常に愉しみとしてある松江のお客様に求められたからといえます。我々風流堂はお客様に育てられて参りました。

菓子職人の技とまごごろでこれからもお客様に愛されるお菓子を作り続けていきます。」

 このような機会をいただいた事に心から感謝を申し上げます。

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