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まめのこと


身体を干すのが日課


 彼に出会った日のことを今でも鮮烈におぼえている。

その日の前日、隣に住んでいる10年来の友達と立ち話をしていてふと犬の話題になった。実家で飼っていた老犬を引き取ることになったという。
「ずっと離れて暮らしていたし、犬の年齢を考えたら色々覚悟もしなきゃだけど、楽しみ」と言っていた彼女の顔がはじけるようで素敵だった。
 
だからだろうか。次の日、本を買いに訪れたショッピングモールでふらりとペットショップに吸い寄せられるように入ったのは。

 実を言うと、私は子どもの頃から犬が苦手だった。想像して欲しい。あなたは小学5年生。ある日ピアノ教室に向かって歩く道中、突如曲がり角にドーベルマン(!)が現れたら?そして、全速力で追いかけられたら?
特段な俊足でもなかったのに見事に火事場の馬鹿力で逃げ切ったミラクルはその後のネタにはなれど(さながら、ちびまる子ちゃんのまる子だと色んな人に笑われた。)、立派なトラウマ体験として以降ずっと消えることはなかった。

それなのに、だ。彼を見た瞬間、目が離せなくなった。ショーウィンドウに背中を沿わせ脱力している様はまるで液体のようで、その目は気だるげに行き交う人を眺めている。

 「諦観」

子犬なのに、全身から溢れている渋味。
入れ物(肉体)と中身(オーラ?)のミスマッチ感。😆

同スペースに入れられていた無邪気な2匹とのコントラストたるや!思い出すだけで今でも吹き出してしまう。

傍にいた夫もまるで稲妻に打たれたようになって、そんな予定もなかったのに二人で算盤を弾き、あれよあれよという間に我が家へ迎えることになったのであった。(とは言え、頭を冷やすために銀だこ食べに行ったりしてしっかり話はしました。それでも即日だったけど。)

 あれから5年。我が家で唯一犬を飼っていた経験のある夫は、しつけにおいて全く戦力にはならなかったけど、その分必死こいて学んでお世話した私は見事に犬嫌いを克服し、愛犬から全幅の信頼を得ることに成功した。多感な思春期の子どもたちとストレスまみれの大人をその気は無いのに癒やしている彼は、今や我が家の主とばかりに家中を闊歩している。

 彼が我が家にやってきた日、彼の名前を決めたのは娘だった。その名は「豆吉」。彼がくれるささやかだけど純度の高い幸せな時間を、これからここに少しずつ書いていけたらいいなと思っている。


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