見出し画像

世界が私だけで構成されていたらきっと潔く生きれたのに

できる限り後悔をしない選択をしてきたつもりなのに、いまだに毎日たくさんの後悔を重ね続けている。

弟が来年から東京で一人暮らしをすることになった。
同期が、私が辞めたいと思っている会社を夏に辞めると言った。
中学時代両思いだった人が結婚式の様子をインスタグラムに載せていた。
研究者を目指す友達と久しぶりに会うと、声がつややかに聞こえた。

嫌な意味でのいいなあという気持ちがずうっと波打って、船酔いしたような気持ち悪さを抱きながら最近生きている。

私が思慮深さと名付ける、胸に抱えた諦めと意気地なさが入り混じった変な色の感情が、ここにきて自分をじわじわと責める。

私は思った以上に選べる人間だったのかもしれないけれど、勝手に選択キーを絞っていた。
いや、実際この手で選んだのだけれど、「それっぽい」選択を選ぶことによって、現実に不満を抱いた時に保険をかけているのだ。
自分一人を喜ばせることもできないその責任感のなさに呆れている。そして別に誰にも悲しまれなければ喜ばれることもない自分の現状に。
せめてひとりくらい、ひとつくらい、私が今ここに立っていることの理由と肯定になってほしいのに。(とはいえ、きっとそういった他からの期待が過度に大きくなると潰れてしまうような脆い人間でもあるのだ。)

自分のためだけに生きれるの、今だけだよって自分に言い聞かせてはいるのだけれど。そんなに羨ましいなら今すぐ駆け出せばいいじゃんって、自分もそう思うのだけれど。自分には自分のために生きるだけの根性も自己愛も勇気もない。

小さい箱の中で工夫して精一杯自由に踊ること、小さい箱で踊ることを楽しむこと、それを本気でそう思っているように取り繕うのも、割と得意になってきた。
けれど、それを正直しんどいと思う心をごまかしきることはできない。でもやっぱり、だいたい7人に1人くらいはやっているような、箱を出るための大きなジャンプもできやしない。

7人のうちの6人にも馴染めなければ、1人になるほど強くもない自分、いじらしくて可愛いとか言う思い微塵もわかないくらい、とてつもなく、だっせー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?