ハママツさんになれない


最近友達と飲んだ時に、「ほんと君はめんどくさくって生きるの大変そうだね」と言われた。

そりゃ人間は単純にできてないけど、私は特にめんどくさいらしくて(当社比)
いつだって理想を追うけど、一方で理想を追うのをやめて現状で完全に満足したいという欲望があって、その気持ちたちが常に強くてぶつかり合っている。だから感情がぐちゃぐちゃになる。

人間関係においても、できる限り多くの人にできる限り優先順位高めの大切で頼れる人でいたいと真剣に思っている。けど正直今の人間関係の範囲と深さで納得して、それぞれの関係を丁寧に繋いでいたちという気持ちがある、もっと居心地のいい間柄にしようとかもっと知ってほしいとか、すごく頑張りたい一方でそんなの考えたくない。まあ相反する気持ちが同時に存在するのはまだわかるけど、私はそれぞれの思いがとても強い。だからしんどい。

昔とっても好きだった人は詩を書く人で、詩をはじめたきっかけは私の前に好きだったハママツさんという女の子だということを聞いたことがある。その話をきいてから私はずっとハママツさんにジェラシーを抱き続けている。
彼の言葉の端々に、彼の書く詩にハママツさんが一ミリでもちらついたとき、その時何ともなくても帰りに死ぬほど吐きそうになることもあった。

今でも、ハママツさんになれなかった悲しさが私を襲う。

ハママツさんだけじゃない、私には、なれたかったけどなれなかった「ハママツさん」がたくさんいる。

私の好きな人には大体私よりとびきり好きだった人が過去にいたり、とびきり好きな人がいたり、後からできたり。勉強だったり何かの活動においても、とびきりな人がいて、私は大体、とびきりになれそうでなれないポジションだった。絶対にとびきりになれないってわかってるより、なれそうでやっぱり最後の壁を超えれない自分が悔しかった。

私自身は、誰よりも、とびきり、特別、断然、一番、最高、になれない。
私が私をそれなりにとびきりになれると勘違いしてることが多いんだろうな。

けど、ハママツさんをとびきり好きだった彼は、ハママツさんなんて比にならないくらい、私のことがもっととびきり好きだと思っていたし、私も彼がとびきり好きだった、もう今まで好きだった人も今会う色んな人も(もちろんみんな素敵な人だけど)くすんでしまうくらい、とてつもなく好きだった、
のに。多分結局彼のハママツさんには最後まで私はなれなかった。彼は私のハママツさんなのに。

もう色んな世界でハママツさんをつくって、ハママツさんと同等かそれ以上になろうみたいなの、しんどい、けどそれを諦められない。という話をした時に言われたのが冒頭の言葉。わかる〜〜。

さいきん、誰よりも好き、とか、あんまりアテにならない気がしてきた。
一番好きどおしが結ばれて、一生一緒、最高に愛し合う、それが一番美しくて、正しいことだと思っていたけど、それがそもそも違うのかもしれない。

結婚は、戦略なのかもしれない。1人でも何とかそこそこ生きていける私と誰かが、互いのモチベーションとパフォーマンスを高め合うために一緒に暮らしてぶつかり合ってアップデートして、作戦会議して、それぞれ、もしくは一緒に、なにかと戦っていく、みたいな。

とびきり一番好きな人はもういい(いや、ほんとはとびきり一番愛してほしい、その気持ちがあることは認める)、私がいることで彼が強くなれ、彼がいることで私が強くなるような、そしてそこそこ好きで、そこそこだからこそ変な情に振り回されず、最高の人生を駆け抜けられる、そんな人と出会いたい。

そう、めちゃくちゃ、結婚したいって欲はある。
そのために、恋においてはハママツさんになろうという気持ちは捨てたい、なあ
(前回はとびきり愛されたいとかいってたくせにね、こーいうところが生きづらいんだよ)

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