こんにちは、21さい

21歳になった記念に、使いにくいたんぶらさんから流行りのnoteに移行してみようかの試み。
使いやすいものを使えば継続して使う気が起きるかなの試み。

21歳になりました。もう、アマチュア大人〜とか言ってられねえ…こどもとか言われてられねえ…と、ひしひし。
20歳の誕生日は成人だってのでそりゃどんちゃんだったし、19歳も18歳も色んな意味でウェーイって感じで、21歳の誕生日をささやかに迎え終わろうとしてることに戸惑いを覚えつつ。けどやっぱり幸せを感じたのです。

実は色んなことへの怒りや悲しみの気持ちが急に爆発して、4日の朝、久しぶりに涙が止まらなくなるってことが起きて。
泣きながら化粧して、止まらないから流れて、って負のスパイラルのままバイト行って。
(まあけろっと治るわけなんですけど)

私、今、すっごく一人かもしれない。って気持ちになったまま帰宅してお風呂に入ってるうちに日付が変わって1/5になって、何も代わり映えしないなあって思いながら眠りについて。
眠りにつく前にバイト先の40くらいのおじさんが「この歳になると誕生日なんてただの日常だし何も変わらない」って言うのを思い出して、あー私にとっても、誕生日ってそういうもんになってくのかなあとか考えて。

確かに、21歳になったところで確かに何も変わりはしないけれど。
けど、何歳の私になっても、誕生日にちゃんと私を思い出してどこで何をしているかを問わず「おめでとう」って連絡してくれる人たちがいるってこと、誰かの片隅にでもわたしはいること、ちゃんと1人じゃないってことを誕生日をとおして再確認できてよかった、って一日でした。
年々知り合いが増えて、だから新しく祝ってくれる人も増えるってのも嬉しい。今年ももっと新しい友達つくるぞー!ってなる。(まあその分忘れていく人もいるのはさみしいけど…)
見せかけでもなんでも、好いてくれる人がいるということはそれだけで生きる力になるというか、むしろわたしはそれが無いと本当生きていけないんだなあと。
みんなのおかげで生きてます。ぶい。

とりあえず、わたしは21になっても幸せ者だな!とつくづく感じました。
悲しみの淵にいた昨日のわたしは、どうしてそんなところに立ってたんだろ、て感じ。

だから絶対わたしだって誰かの誕生日は忘れたくないし、ていうか誕生日を祝うって存在そのものへの愛情表現だよ?すごく尊いと思いませんか??
だからもっと大切にするべきなのです。

何歳になっても、いやもう何歳とかはどうでもいい、おばさんになってもおばあちゃんになっても、誕生日は日常にはなってほしくない。
私の中で誕生日はいつまでも特別な日で、嬉しい日であってほしい。
誰かに愛されてるって確認して、そしてみんなを愛してるって確認する日であり続けてほしい、続けよう。

お昼、椎名林檎の幸福論を聴いてたのだけど、
「あたしは君のメロディやその哲学や言葉すべてを守り通します。君がそこに生きてるという真実だけで幸福なんです。」
って歌詞に改めて胸打たれて、私こんな風に守られて愛されて生きているのだろうし、むしろ私だってもっとこうやって誰かを肯定して生きたいとおもいました。21歳いずみん頑張ります。

みんな大好きです。ふつつか者ですが、また一年よろしくお願いします。

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