幸せになりたいとすら思わなくなったらそれは死

23歳は大人なのだろうか。

「社会人という意識が足りないのかもなぁあの子は」と私の同期に溜息つく上司の言葉を受け流す途中で詰まってしまう。
社会人という意識はどこから湧いていて、はたしてそれは自分の中に湧いているのか、はっきりわからない。
今の私はまだ大学生の頃の子供らしさを引きずっている気がする。
だって仕事は行きたくないし朝は寝たいし夜は起きたいし好きなことしかしたくない。
それらをせずに仕事に行くのは、責任感というよりかは、そうしかすること無いみたいな気持ちが勝つから。
仕事は嫌いじゃ無いしたまに楽しいとも思うけど、演劇を続ける友達の姿とか、たくさんやってくる天災が、私を揺らす。こんな所でOLせずにもっと自分のやりたいことにチャレンジしないと!と焦る。とはいえ、その気持ちの通りに走っても、浅はかすぎて「ミスる」気がする。結局どの選択をしても間違いじゃん
…となる。

自分らしさは、気を緩めたらすぐに消えちゃうし、主張しすぎると周りからはみ出てマイナスになる。
だからいつも、そのバランスをうまく取って綱を渡れるように、色々調整する。うまくやってるつもりだけど、結構頻繁に崩して落っこちて帰宅した後に一人で病む。

退勤と同時に、耳に大きなリボンを吊るして、全然オフィスのカジュアルじゃないコートを羽織って、地下鉄の駅を目指す。安いイヤホンぶっ刺して、世界で5000人くらいしか知らなさそうだけど大好きな歌を聴く。
好きになりそうな人に気まぐれな連絡をして、男ウケの悪い髪型にして、
そうやって私の強い可愛いおもしろスマート素敵最高を構築していく。

けれど、きちんと愛されたいし最低限度には馴染みたいし早とちりされたくない。だから、カーディガンは無難の紺色にするし、SNSはこまめに見るし、カラオケではいきものがかりを歌うし、出勤と同時にリボンのピアスは外す。

その矛盾を例えば若さと呼ぶなら、私はずっとマイナスな意味でも22歳のままでいい。

ダブルピースの歳が終わっても、私の健やかさ、いとしさ、信条を、探して歩いて戻って飛んで手に入れたい。とびきり幸せになるんだ。幸せになりたいって気持ちだけは、絶対揺るがず、自信を持って、貪欲に、はっきりと掴み続けるんだ。

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