想像通りの大きさのかなしい日々が待っているけれど

あたたかい雨の匂いが、春の憂鬱を思い出させる。

初対面の人にうまく笑いかけられなかった歓迎会、楽しそうな写真しか流れないインスタグラム、名前の覚えられない人たち、取れないシャツのシワ、焦燥感、眠れない火曜日、飲めないフリ、ちゃんと取れていないメモ、「思ったより手先不器用だね」と真顔でぽろっと言われたこと、私より学歴が低いのにTOEICの点数が高い同期、サラリーマン社会ではそんなに役に立たない四年間学んだ社会学の知識、自己愛と自己嫌悪、冷たいおにぎり、色んな些細な悲しみが、1日1日、少しずつ少しずつ、心に積もっていく。

晴れている間は、新しい気持ちがちゃんと心に入ってきて、なんとか持ちこたえる。なのに、夜になると、ついこの前「また会おうね」と手を振った人たちに、私をよく知る人たちに会いたくなる。

新しい場所に行くとき、とても不安を抱くし、しばしば、想像通りの不安なことが起こる。やっぱり、となる。何なら、それ以上にしんどいこともある。

そんな、どうしようもなく後ろに引きづられるような悲しさが続いても、それに耐えて、惰性で日々をつないでいく生活がこの4月から待っている子がいる。

だけどある日、そんな毎日の隙間にかすかな光が見えた。そのとき、私は本当の夢や希望というものは、大人になって失うのではなくて、むしろ大人になってから抱くものだと思ったし、「大人になる」とはその光を目指していくという覚悟を持つことなのかもしれないと思った。

私は、春を迎えるたびに、ただ楽しいだけだった過去を羨む私と戦うのだ。

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