髪を切っても新垣結衣にはなれないけれどシャンプーは楽になる

バッサリと髪を切った。わたし史上最短のショートに。
前に思い切った髪型(眉から数センチも短い前髪に金に近い茶髪)をした時も恋人がいなかったので、恋人がいなくなると血迷って髪を切る人間というイメージがついちゃいそうで少し不安。
どちらかというと、何も無いから切った。髪を切るのをためらう理由がなく、髪もある程度伸びていたからどんな髪型にでもなれる状態だったから、じゃあ思い切っちゃえ、という感じで美容院を予約した。

わたしたちは想像以上に、意外と、めちゃくちゃ自由だと思う。ある程度好きなものを食べれるし、好きな服を着れるし、好きなところへ行けなくもない。全く身動きが取れない人間ではない。自由を行使しきれていないことが多い気がする。

いやいや、君は実際不自由してないじゃん実家暮らしで都会っ子でブラックじゃない会社につとめてんじゃん、お前じゃ説得力ねえよと思うかもしれない。
私たちは裕福だよって話ではない。どれだけお金がなくても、たとえば毎日500円で生きているとして、いつもコンビニのおにぎりとお茶で三食済ませていても、自分がよしとすれば、今日はおにぎりじゃなくてシュークリームにすることもできる。500円のうち毎日400円だけ使って、100円ため続けて毎週末に一回美味しいケーキを1つ食べるということもできる。そんな感じのことを言いたい(そんな感じとは)。

不幸自慢では無いけれど、これでも私は少し大変な家庭で生まれ育ち、ライフラインが止まったり借金取りが家に来る生活なんかも全然経験したことあるので(遠めの記憶ではあるが)、中の下くらいの不幸らしいものは経験済みである。それでも私は自分をそこまで不自由な人間だとは思わない、思いたくない。だって毎日なんとか楽しく過ごせているし、ストレスそんなに無いし。

自由である、ということは、環境ではなく気持ちだと思う。いかなる時でも場所でも、その時に出せるわたしらしい答えや生き方を、その場で選ぶことだと思う。(空気読まない、人を不快にする行動をとる、は少し違う)(わたしはたまに空気読めない)
こうしよう、という意思があって、実際に行動する勇気がある、自由であることは強いことだと私は思う。誰にでも自由になれるボタンはあると信じているけど、いつも自由でいることは難しいとも思っている。

これを書きながら、いや、本当に何も脈絡ないわけではないのかも、と思った。勝ちたい、という気持ちがあったと思う。
さっきまで強気なことを言ったけど、弱い人間なので強気なことを言ってないとすぐ弱気になっちゃう。
なにかに攻撃されているわけではないけど、なんだかひとりでしょぼくれて凹んで負けそうな気持ちに対して、思い切って髪を切ることで、私は自由だよ、悲しい気持ちに打ち勝っていける強い人間だよ、って言い聞かせたいのかもしれない。

仕事ができなくて、自分の能力の低さに凹んで、先輩や同期のすごさに嫉妬して、別のことをやってる人に憧れて、そうやって今の環境にいる自分を少しずつ否定して、負けの気持ちで心がいっぱいになってた。髪を切ったあと、帰り道、びゅんびゅん風が吹く高架下を歩きながら、いいじゃん私ショートヘアーにもなれるんじゃん、てなんか元気が出た。

きっと髪を切った後も、すごく人に感謝された後も、大きく表彰された後も、超高級の何かを食べた後も、すぐに凹むし病むし苛立つと思う。けれどその一瞬に勝った記憶でやっていって、無理になった時に髪を切るなりしてまた勝った記憶を塗り替えていきたい。

誰も傷つけず、踏み倒さず、明日も勝っていくぞーっ

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