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悲しい歌は聴きすぎないように

最悪なニュースのURLが友達から送られてきたのはお昼休み、コンビニのおでんを啜っている時だった。

瀕死の時に擦り切れるほど聴いた明るい曲を作ってくれた、とても尊敬するギタリストが死んでしまったらしい。
かなり大きい喪失感を覚えて、ぐらぐらしながらなんとか仕事を終えて帰宅して、今全てのエネルギーを全部吸い取られる前にnoteに書き留めている。


ずっとその曲を聴いていたその時は、学校に通っておらず、アルバイトで学資金と生活費を稼ぎながら、家に帰ったら勉強をする、という日々で、楽しそうに過ごす同級生の写真を見ながら羨んだり、なかなか学力が上がらず自己嫌悪ぐるぐるさせたりと、日々を楽しいと思う理由が少ない生活をしていた。
冴えない夜を過ごして、色んな言葉や思想につまづいて、そんな自分を嫌いながら、唯一愛せるじぶんの歌声をお風呂に響かせてなんとかやり過ごした。そして生きていく中で、いろんなことを諦めたけど、同じくらいいろんなことを叶えられた。

あれからちゃんと成長できて強くなれたから今わたしは生きていけているのかというとそうでもなく、そこまで変わらないメンタルを抱え、一向に良くならない環境にいる。
ただ、潰されるほどの悲しみがあっても、前みたいに目一杯打ちひしがれることはせずに、一旦飯を食わないといけない、と感情に対して時に機械的に接する術をちょっと身につけたり、ただただ楽しいだけのことに意識的に逃げたりと、こなし方はある程度覚えた。
それは、本当に全ての心が止まっても、せめて止めるのだけはやめてね、と後押ししてくれる歌があり、一日だけやり切る、と言うことを繰り返し続けて生き延びてきたからこそだと思う。
そして今も、一日一少しずつ延長するかのように生きている。

だからこそ、あの曲たちにとどまらず、私に一日ずつくれた色んなものやことや人に本当に感謝しているし、それらはひとつも損なわれてほしくないし、わたしに全部を守る力があればってたいそうな事をも考える。
人生の豊かさとは、そういう少しずつの希望がどれだけあるかも左右すると思う。

死にとらわれるとき、自分の命にたいする全能感のような気持ちに支配される。そうなるとだんだん、
色んなことに消されそうになって、ぱちんと弾けて壊れそうになっても、せめて生きるのだけはやめちゃいけない。
だから引きずられないように、ずんずん前を向いていかないといけないんだと思う。

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