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大衆と音楽

私の愛するフロントマンは「大衆の音楽になる」と言った。心の隅に"使い捨てるように音楽を聴く人たち"という捻くれた最低な考えを持つ私は、大衆音楽という括りが好きではない。

完全に言葉に対しての偏見だ。しかしそれが間違いであるということもよく分かっている。流行りや周りの求めるものなど、音楽を自己のフィルターをかけ見ることがあるのは私の方だ、ということもよく理解している。大好きだからこそ、流行らずに根付いてほしいと思ってしまう。彼らの音楽は本当に素晴らしい。一つの括りにされてしまうのではないかという恐れでもある。偉そうで上から目線に感じさせてしまったら申し訳ない、そんなことないです。

流行る、とは実に難しい言葉であるなと思う。いい音楽は正当に評価されるべきだというが、世に出るということは流行るに近づくということだ。なんとも言えない言葉の難しさに心をむかむかとさせている。

正直なところ、実は聴いてる理由なんかなんだっていい。音楽が好きでも歌詞が好きでも人が好きでも顔ファンでも流行りで聴いていても、結局あと1年後5年後、10年後に何が、誰が、残っているかで本質がわかるので、いい。本質というのは、発信する側も受け取る側もだ。昔来ててた人が今来なくなったのは、熱が冷めたからだけじゃないのはわかってるけど、はじめから本当にそこまで好きじゃなくてだから離れてく人がいることも知ってる。何が嫌か、他人の声に流され良し悪しを評価し自分の耳を持たない人たちによって音楽が殺されていくことが嫌で仕方ないのだ。

変化ではなく進化する。その進化の先に多くの人たちが虜になる音楽があるんだと思った。仕方ない、だって素敵な音楽なんだから、みんなが惚れ込むのは当たり前である。

大衆の音楽になるという言葉が、流行りではなく、たくさんの人が正当に評価し、沢山の人の救いとなり、多くに愛され分かり合える存在になる、そんな膨らみや広がりでありますようにと心から願っている。私は大衆という言葉にまだついていけないけれど、彼らのこの音楽を好きだということが、大衆に好まれる音楽が好きだということとイコールになる、そんな日が来たらいいなと思う。彼らが大衆を魅了し、音楽シーンを変えるんだ。

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