楽しいだけで生きるということ

あした朝起きたら5歳ぐらいに戻っていてこれまでの時間がすべて夢だったと判明したとしたら、これまでがんばったことが全部まぼろしになってしまったことにまずショックを受ける程度には人生頑張ってきたし、今も色んなことを目標に頑張っている最中だから、ちゃんと誇りを持つべきかもと思った。というか、最近になってそう思えている。

誇りを持つからには、自分に甘くなってはいけない、とか思う。自分に甘いのも、誇り高いのも、それぞれは悪くもないし良くもないただの性質だけど、その2つが組み合わさると、居心地の良すぎる怠惰の甘い匂いしかしない。劣等感や焦ることや時間すら忘れて、生を睡眠だけで消化するようになる。

人生でも創作でもなんでも、苦行であるという話はあるけれども、つらいならやめてしまえばいいんだ。努力や積み重ねだって、楽しくないならやめてしまったほうがいい。好きなもののためなら辛いことも我慢しろというが、そうじゃなくて、好きなもののための辛さはもはや楽しさになるはずだ。

私の周りにいる好きなことをやり続ける人たちは、すごく賢い人とか理屈ばかりの人とか先生や政治家や勿論惰性で生きている人、そんな人たちより何万倍も若くて輝いていて楽しそうだ。楽しいことに全力になれる、ありきたりな言葉だけれど、そうして生きている人たちが大好きで尊敬していて、だからずっと応援にも似た憧れを抱き続けているのだ。

私はすべて楽しいからやる。地味なことも失敗も楽しいからやる。楽しい!楽しい!と歌い続けて、どこまでいけるか知りたいんだ。

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