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noteやめます。

note辞めることにしました。辞めるってか一旦アプリを消します。どんな投稿をしても何にもならないしから。いまはTLを見ても友達の居ない大学生の日記と意識高いホリエモンの操り人形の大人達しかいません。どうしよう!?まぁいいんですけども。なぜ彼あるいは彼女はいいねが2.3しかつかないのに半年以上日記を付けられるのだろう?フォロワーが1桁しかいないのに続けられるのだろう?そんなに孤独に慣れたのかなぁ?どんなタイトルで物を書けば読まれる回数が増えるかを理解し続ける度にこのアプリが嫌いになりました。どんなユーザー層がいるかを実感する度に不快になり続けました。講演会の話を読む度に「誰が金を払って知名度のないお前の話を聞くのだ?」と思いました。3分考えたタイトルの友達の居ない大学生の日記を読む度に「こうはなりたくない」と思いました。ここのユーザーはTwitterを真の世界だと思い、ギャグ漫画で生きてきたのだと思います。
前々からずっと疑問だったのですが、「オモコロ」ってTwitterとnote以外で名前を耳にしたことはありませんよね?現実で聞いたことの無い単語です。友達にもオモコロを読んでる人は居ませんし、YouTubeでもアルファを見ない限り聞いたこともないです(それにアルファの動画内でも言及されてるのを見た事がない)

昔は創作が楽しくてやってました。でも今は創作自体への興味はまだあるのですが、形の持たないnoteという形式に書くのが嫌でたまりません。いつか大人になった時に懐かしいなと思って読み返したいです。そしてその読み返す時に不足を感じない量までは描きました。だから一旦辞めます。また電子媒体に字を書きたいなと思ったら投稿しますし、待ってる人も極めて少ないもしくは居ないので去ります。
しかし、noteは衰退の一途を辿ってはいませんか?Twitterが流行っているし、noteも時々聞きますがTwitter以外の現実などでは聞いた事もありません。まぁいいのですが。でも僕が大人になる10年先くらいまでは残っていて欲しいですね。10年先までアカウントを残しておいて欲しい。note運営さん、10年以上倒産しない見込みありますか?倒産してもいいですし買収されてもいいんですけど、僕がいつでもログインできるようにアカウント残しておいてくださいね!

「こうなりたくない」と感じたくなる大人がnoteには沢山いました。僕も10年経てばそれらといくつかの共通点を見つけ出すでしょう。人はいつか本当に心の底から憎んだものになるのです。貴方が今、憎んで嘲笑して蔑んで同情したものを覚えておいてください。いつか貴方もそうなります。10年前貴方が嘲笑していたものを思い出して欲しい。いくつかの共通点は見られるはずです。

しかし、僕の投稿を読んでいる人は本当に感謝をすべきだと思う。いいねはなくても読んで貰えるだけで嬉しい。ありがとう。ありがとう。ありがとう。いいねなんて要らないし、フォローも要らないし、コメントも要らない。ただ読んでくれてるだけでいいんです。僕は今から大人になります。これを懐かしく読み返せた時はさらに大人になってるかもしれません。少なくともたくさんの失敗はします。それでも乗り越えてやります。ホリエモンの操り人形達も、友達の居ない大学生も元気に生きていってください。少なくともあなた達の寿命が尽きるまでは太陽は光っています。夜は寝ろ、朝は空を見上げろ、昼はそれぞれの道を歩け。多くの怪我をするな。大きな一個の傷を持つだけでいい。大きな傷跡のある子は思慮深い子である。

またね。

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