折原くんのこと 11月2日
君の真実を、僕の左脳が理解しようとしている。
それはとても悲しいことだ。
君の鼓動と体温を、数値化して平面化しようとしている。
それはとても悲しいことだ。
僕の体は、日ごとに街に近づいている。
僕の心は君に食い込みたがっている。僕は臆病だ。(10/13)
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この雨は、折原くんの涙だ。
もう18歳、これがポエムなことはわかっていたけれど、現実逃避に打ち込みたかった。
折原くんから私に触れたのは初めてだった。つかまれた両肩は、雨に濡れた服が余計にまとうので不愉快だった。
「君は僕を違う生き物だと思っていて、現実じゃない」
「そんなことない」
「そんなことなくない、じゃあ、例えば」
折原くんの真っ白な、陶器みたいな色の顔が近づいてきた。
息遣いも、体温も、産毛も、何にもわからない。私の視力は1.2なのに、近付けば近付くほど、折原くんの輪郭がぼやけてしまう。
「僕が、君の服を脱がして、そういうことをしたり、僕が服を脱いで、その、勃ったやつを、見せたりして、いいの?」
恥ずかしがり屋の折原くんなのに、一切目を逸らさないで、ぐっと私を見つめている。もちろん折原くんの目なんてわからないのだけど、なんとなく、私を見てくれていると分かった。
「、だっていっつも、私から、セックスしようって」
両肩をつかむ手の力が、ぐっと強くなって、ひるんだ。寒いのに、内側から湧き出る何かで体はかあっと熱くなって、そのくせ、背中には一気に冷や汗が浮かぶ。
どうしてこうなるのかわからなかった。折原くんをずっと好きだった。少しの猫背と、水の奥から聞こえてくるような静かな声と、ほのあたたかい体温と、私より少し高い背と、O脚の細い脚、わからないはずなのにいつだって穏やかな表情、折原くんが体現する優しさが大好きだった。だから、折原くんともっと深く知り合いたくて、浮かんだ答えがセックスだった。なんどだって私から触れて、上に乗っかって、時に裸で迫って、困るばかりで釣れない折原くんをつまらなく思っていたはずだった。
今はどうだ。私の呼吸に合わせて数ミリ単位で動く彼の手の感覚が、棘のように刺激して、それがもうまさに針の筵のような心地になってしまって、全部の神経が折原くんの触れる肩に集まって、だからもう全く、動けない。
「服、乾かさないと、風邪ひいちゃうね」
膠着状態が永遠のように続いた後で、独り言を主張する音量で折原くんは外を見た。あんなに緊張して、一挙手一投足を感じていたはずなのに、いつ手が外れたのかわからなかった。
「折原くん」
気付いた時には、折原くんはカバンを背負い、扉に手をかけていた。老朽化した引き戸はがたがたと騒ぎ、そのかしましさがかえってむなしかった。
「本当は、送っていかなきゃいけないんだけど、ごめんね」
外の雨は止む様子もなく、けれど激しさもなく、しとしとと降り続いている。
「今のが、現実に僕がいるときの君だよ」
折原くんは傘もささず、敢然とした足取りで飛び出していった。私は止めることもできず、雨の中に消えていく折原くんを見送った。
あと半年足らずで折原くんは「折原くんの街」に行く。
私は、折原くんと過ごした1年半を反芻し始めた。
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