物書きを志す者として

私は現在、文章を書くことを仕事にしている。
発表されたものには自分の名前が載るし、一定の評価も得て、継続して仕事も頂いている。
なので一応、世間的にいう「物書き」ではあると思う。

だけど私は、自分を物書きだと名乗ることには抵抗がある。
必要があればそう名乗るが、極力そうしたくない。
自分が「物書き」であると認めていないからだ。

「物書き」という言葉にふさわしいのは、どんな人か。

物思いにふけりながら、毎日なにかしらを書き、自分なりの表現を模索し、原稿用紙をぐちゃぐちゃに丸めながらも葛藤し、みたいなステレオタイプのイメージである必要はない。

私が思う物書きは、少なくとも、
「書くということに対して真摯に向き合っている人」だ。

私はこれまで、ひょんなことから書くことを仕事にし、
感覚と運と縁だけで仕事を続けてきた。

大した勉強もせずに急に現場に放り出され、日々締め切りに追われ、なんとかこなすことで精一杯だった。
自分には実力が足りない。
努力が足りない。
勉強が足りないと自覚しながら、
なんやかんやと言い訳をして、その不足を補おうという努力をしてこなかった。
失敗してもいいさ。だって私は所詮、主婦だもの。
そんな逃げ道が自分の中にあった。
そんな自分のコスさに気づき見下しながらも、気づかないふりをし続けた。

去年、夫が突然「離婚したい」と言って家を出た。

私は途方に暮れ、毎日を泣きながら過ごした。
夫の心が離れたのは、私が仕事にかまけて、夫を顧みなかったからではないか?
もっと仕事の量を減らして、家事や育児、妻としての仕事に精を出すべきではなかったのか?

私は大層自分を責めた。
完全に悲劇のヒロインだった。
私には過分とも言える大きな仕事の依頼もあったが、泣いてばかりで自分を責め続けた挙句にぞんざいに書き上げたそれは、当然目も当てられない。
せっかく頂いた仕事を、私は無残にもふいにした。

私は、文章が書けなくなった。
依頼をくれた人から、黙って逃げた。
夫が離れていきそうなのに、今それどころじゃないし。
私は必至で夫を追いかけ、取り戻すことに必死になった。
そうするうちに、書きたいという情熱もどこかへ行ってしまった。
仕事でお世話になった人々の誰とも、関わりたくなくなった。
そういう自分が情けなかった。

落ちぶれに落ちぶれた。
物書きとしてどころか、人としてもダメなやつ。
もうこのまま専業主婦でいいじゃん。
夫を取り戻せさえすれば、私は幸せになれるんだから……

そんな重い女になり下がった私が、今、ようやく目を覚ましつつある。
重い女になってる場合ではない。

私が目指すべきは、物書きだ。
そうだ、物書きを志そう!

(そう気づいたきっかけは、記録的ヒットを飛ばし世界で注目されている
「あつまれ!どうぶつの森」にあったのだが、その話はおいおい…)

正直、夫とは、この先どうなるかわからない。
でももうどうなってもいいのだ。
私は、夫と添い遂げるために生まれてきたのではない。
私は、物を書くために生まれてきた。気がする。

書くということは、自分の心と向き合うこと。
ということで、今日からここに記事をあげていくことにした。

毎日あげなくちゃダメとか、そういう制限は一切なし。
とにかく続けていくことを目標に。

極端に憶病で逃げ癖のある私の、ここは鍛錬の場なのだ。