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乗馬はシンプルに

スクールバスにも馬

朝、乗馬に車で向かう途中、信号で前に停まったバスには馬が描かれていて何だかほっこり。運転しているから撮れなかったけど、バスが左折する際に見えた車体の側面には大きな馬の絵。馬産地にいるんだなぁと感じる。

走る、曲がる、止まる

日光の猿の見ざる、聞かざる、言わざるではないけれど、シンプルに言えば、乗馬とはつまり馬に乗って走る、曲がる、止まること。そしてそれをインストラクターの元で練習していると、インストラクターの声に馬が反応していたりして、自分でコントロールできているのかどうかが良くわからなかった。なんとなく走ってくれているし、なんとなく曲がれるし、なんとなく止められるから良いのかな、みたいな感じだった。これを意思を持ってここで走る、ここで曲がる、ここで止まる、と明確にできるように今まさに練習している。とってもシンプル。

馬に走れ、曲がれ、止まれとこっちが要求している、いわばわがままを通す以上、絶対に手綱にぶら下がるなと言われたのが昨年末。ずっとこの「手綱にぶらさがらない」、つまり走れと言っておきながら(脚で走れと指示しながら)、手綱を引いてブレーキをかけている状態がないよう練習してきた。ゼロタッチ(ほぼ手綱を使わない)で走れるようにひたすら練習。いまだにそこはぶら下がっていると指摘されることがあるが、だいぶましになったと思う。

他に練習しているのはスピードコントロール。一定のスピードを維持したり、はやめたり、ゆっくりにしたり。今どんなスピードで馬が走っているかをもっと感じとらなくてはいけないのだが、どうもそこが鈍感、かつスピードが早ければ早いほど楽しいと感じているのか(決してスピード狂ではないのだが)早まったスピードを緩めるのが遅い。実はこれ、私の運転でも言われることで、アクセルを緩めるのとブレーキを踏むのが遅いらしい(自分にはあまり認識がない)。

目から鱗

これから何をするにしても、例えば障害を飛びたいと思っても、馬を狙ったところに自分が確実に連れていかれなければ、何もできない。どんなに綺麗に乗っていたとしても、障害の練習すら始められないのだから足の形だとか、細かいことはまずはいいから、とにかく思ったところに思った通りに連れて行け、と言われて目の前が急に開けた気がした。走る、曲がる、止めるの練習がそんなところにそんな風につながるのか。時々愛馬と共に指導してもらっては、こうした大局的な教えを得て、また次の日から1人で練習している。

でもなかなかうまくならなくて、英語で言うところのI hit a plateau.と感じたりもする。この表現、日本語に訳すと停滞状態とか壁にぶち当たるなのだが、plateau(「プラトー」と発音)は私のイメージではグランドキャニオン。ずっとどこまでも平坦な感じで、安定しているんだけど、上がったり下がったりがないから進み具合がわからない。

うまくなったと感じる時が来るのかなぁ。まぁ考えても仕方ないからとにかくシンプルな練習をひたすら続けます。(つくづく付き合ってくれている愛馬に感謝)

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