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息子の運動会でできた、人生の答え合わせ。


昨日はひさしぶりに母と電話をしました。

約1年前に、母とは「物理的にも精神的にも距離を置きたい」と私からお願いをして、この1年間はほとんど交流がないまますごしていましたが、来月に弟の結婚式があるので、その打合せで最近はときどき電話で話したり会ったりもするようになりました。

昨日も、結婚式の件で電話がかかってきて。

「〇〇、元気にしてる?なにして毎日過ごしてるの?」と聞かれて、

「今日ものんびりしてるよ~」と答えると、


「毎日が日曜日やね」と言われました。

一瞬、「はぁ、なんでそんなこと言われないとアカンの?」と思いながらグサリときましたが、もう今までの自分とは全然ちがって、それで自分を責めなくなったし、だいぶフラットに捉えて流せるようになりました。

物理的に母と距離を置いてから「自分の人生は自分のもの」とだいぶ思えるようになってきたので、
「うん、そやねん。でも、いろいろほかのママさんとも話したり交流したりして、楽しいし、毎日充実してるよ~!」
と明るく返せるようになりました。

そして、そこからいろいろと近況を話していくなかで、息子の運動会の話になり、私は息子の運動会で感じたことを母に話しました。

息子は今年年長さんで、こども園最後の運動会はいろいろな種目があり、それはそれはとても張り切って練習をしていました。

運動会のプログラムの最後にはマラソン競技があり、600メートルほどの距離を走るのですが、息子はそのマラソンで「1位になりたいからがんばるねん」とずっと言っていて、運動会が近づくにつれて、夜寝る前に「こわい、緊張する」とプレッシャーを感じているような言動もありました。

1位になりたい気持ちも芽生えてきてるんだな、と成長を感じたと同時に、「そんなにがんばらなくてもいいのに。たとえ1位じゃなかったとしても最後まで走れることが大事だし、どんなあなたでもママは大好きだよ」と一瞬言いたい気持ちになりましたが、
がんばろうとしている息子に「がんばらなくてもいいよ」と言うのはなにか違う気がして、「そうやんな、緊張するよな」と言うだけにとどめていました。

そして迎えた、運動会当日。
息子はワクワクしながらもとても緊張している様子でした。

オープニングでは、年長児さんは竹馬で登場しました。
年少のときも年中のときも、この年長さんの竹馬を見て、「年長さんになったらほんまにこんなん乗れるようになるのかな」と心配していましたが、颯爽と竹馬に乗っている姿を見てぐっときました。

そのあとも、補助輪なしで自転車に乗ったり、50メートル走でも1番にゴールをしたりして、どの種目もがんばり、良い結果を残していました。

そんな息子を見てとてもうれしかったけれど、自分のなかの何かが感動しきれない部分がありました。
このままあっけなく最後の運動会が終わっていってしまうのかな、と寂しい気持ちも出てきました。

そして、とうとう最後の種目であるマラソン競技がはじまりました。

息子はよーいどん、でかなりのスピードで走りだしました。

最初の1周目は1位、2位あたりにいたのですが、2周目からは最初に飛ばしすぎた疲れからか、目に見えて失速していくのが分かりました。

年長さんの保護者は近くで応援できたのですが、息子は、ひとり、またひとりとお友達に順位を抜かされていきます。

私と夫の「がんばれー!」という声援に応えるかのように、私たちの前を通りすぎるときにはスピードを上げて、一生懸命がんばって走っていましたが、やはりどんどんお友達に抜かされていきます。
その悔しさからか、途中から目に涙をためながらがんばって走る姿に、こちらももらい泣きをしてしまいました。

そして、順位をだいぶ落としたけれど、最後まであきらめずにゴールできて、私はもうそれだけで胸がいっぱいで涙がでました。

しかし息子はゴールした瞬間に、私のところに飛び込んできて、
「こんなんやったら、金メダル(運動会の最後に渡す親が手作りした金メダル)、もらえへんやん」と泣きながら言いました。

私はもうその瞬間に、涙が溢れて、

「そんなんじゃないねん。いっぱいがんばったやんか!!金メダルあるよ。あるにきまってるやん」と言いました。

息子はそれをうん、うんと泣きながら聞いてくれたようでした。

順位よりもなによりも、私が息子に伝えたかったのは、

どんなあなたも金メダルだし、大好きだよ

ということだったので、私はこれを息子に伝えられて本当によかったなと思いました。


その話を母にしながら、私は泣いていました。

そして、私が母に今までずっと聞きたかったことを聞きました。

「私も子どものころ、運動会でも中学校受験でも、結果がうまく行かなかったらどうしようって不安で、どれも一生懸命がんばって良い結果だったけど、たとえ上手く行かない結果でも、こんなふうに声かけてくれた?」と。

そうしたら、「そりゃそうやん」と母は言いました。

「あんたは、どれも一生懸命にがんばろうとしてたし、そんな〇〇に、がんばらなくてもいいよ、とは言えなかったよ」と。


私はそこで長年の人生の答え合わせができた気がしました。


「頑張れなくても、そのままのあなたでいいよ」と私は親に言ってもらえなかったのではなくて、私自身が親にそれを言わせる機会がないようにしていただけだったのかもしれないな、と。

ずっと私は今までの人生、残念な結果になったときに親にがっかりされて失望されるのではないかと不安でこわくて、いろいろなことを一生懸命に頑張ってきました。

良い結果を残し続ければ、いつか認めてくれて愛してくれるのではないかと勘違いしていたのではないかと思います。

そして、頑張り続けて燃え尽き、適応障害にもなりました。
そのときは「もうがんばれない」と心が叫んでいました。

でも、母と話せて、頑張れなくても、もう最初からすでに私は愛されていたのかもということを、心の底から感じられて、とても心が温かくなったし、ホッとした気持ちになりました。

なーんだ、そうだったのか。

と力が抜けましたが、同時に、心に今までとは違う力が湧いて満たされた感覚にもなりました。

息子の金メダルを通して、私の人生も本当はずっと金メダルだった、と感じることができたのかなと思いました。





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