見出し画像

2. 生い立ち….軍人の子として、幼少期はアラスカで育った「パテル・パトリオットのデボリューション・パワー・アワー 2021/12/29 (ゲスト:クリフ・ハイ)」

Eriさんのサブスタック.ニュースレターより、過去の投稿を共有させて頂きます。

2. 生い立ち….軍人の子として、幼少期はアラスカで育った
「パテル・パトリオットのデボリューション・パワー・アワー 2021/12/29 (ゲスト:クリフ・ハイ)」

クリフ:わたしの生い立ちですが…..幼い頃はアラスカに住んでいました。父は1950年代、国防早期警戒システム…いわゆる “デューライン”で働いていました。なので、小さい頃はアラスカに住んでいたんです。わたしは軍人の子で、17歳になるまでのあいだ、軍隊の中で、その倫理観と文化を身につけながら育ちました。17年間、軍人の子として、そして、無給の米軍兵士として存在していました…1960年代は、その流れに身を任せていました。

わたしの父は、数少ない、朝鮮半島で戦地に赴いた将校でした。彼はミズーリ出身の農民でしたが、不況でカリフォルニアに移住し、その後、朝鮮戦争に出兵しました。映画「ハートブレイク・リッジ」を観たことがあると思いますが、 彼はその時、自分の中隊と海兵隊の中隊を救ったことで “戦場功労賞”をもらったんです。それで彼は将校になったのですが…..その人生に対する準備がまったくできていませんでした。彼は本質的に芸術家であるのにもかかわらず、そのような立場に立たされてしまったのです。

その後父は、現場将校、ライン将校、スタッフ将校、調査官など、さまざまな仕事をこなしました。そして、報酬のひとつとして、軍は1960年代に彼を士官学校に送り込みました。

レブンワースにある陸軍指揮幕僚大学は、基本的に、戦争に関する博士課程を教えるところで、彼はそこで博士課程を修了しました。


当時は少佐で、その後は中佐に昇進する予定でした。そして興味深いことに、父は自分の仕事に非常に優れていました…でも数学の勉強をしていなかったので、たまたま数学の素質があったわたしは、彼の数学の宿題を手伝っていたんです。

続く↓

3. “デボリューション” という概念は、1947年に生まれた
👇


Subscribe to EriQmapJapan’s Newsletter

Launched 2 years ago

EriQmapJapan によるアーカイブ投稿