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映画『ちはやふる結び』周防久志と真島太一

「ちはやふる」漫画にしても映画にしても、親目線で見てしまう、その辺りを今回は書きます。

カルタ名人である周防さんは 予備校の講師でもあります。その周防さんが太一に構う理由は『自分に似ているから、自分が後悔していることを太一に負わせたくない』というところだと見ています。

太一の母、麗子さんは小学生の太一に「自分が一番になれるもの」をやればいいのに、と言い、マニアックで地味なカルタに懐疑的です。けれども太一がそれに従っていたら、周防さんのような内面(情熱のないがらんどうさ)になっていたのではないでしょうか?

小泉監督も末次先生も、太一の物語をしっかり描かれるのは、今の多数派の子供たちに 太一のモヤモヤ、悩みが刺され、と願っているのだと思います。

綿谷新や綾瀬千早は 好きこそものの上手なれで、過集中、努力を努力とも思わない。外野からみたら変態的な位でしょう。強い人と当たりたい、おらあワクワクすっな💓って人たちです。太一のリーダーに対し、エゴイストとも表現されてますね。世間では少数派でしょう。

一方、太一は(肉まん君やヒョロ君も含めた一般男子は)格下の相手と当たって勝ちを拾いたいとか、勝ち数を計算したりします。学年一番をキープし続ける子なら、計算高くもあるでしょう。好きという気持ちだけで動くのではなく、みんなのためにやるべきだ、で動くと強いというのも さもありなんです。

その常識的なところが太一の長所でもあり、新に勝てない理由でもあります。周防さんは「自分で一線を引いてしまっている」と言います。それは「青春全部かけても新に勝てない」という思い込みをも指してると思います。

偽悪的に振る舞う周防さんですが、それゆえに自分で自分の事を性格悪いと評する太一には 綺麗事ではなく「ワカル」のでしょう。

周防さんの言動については「受験の方が大事だと思うよ」は講師として、常識的な、または一般論を言った言葉だと思います。対して「君はこんなところで何をしているの?」から始まる言葉は周防さん自身の自分を振り返っての言葉になります。
そこで乱暴な字で黒板に書かれる小野小町の短歌

はなの色は うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに

その時代が過ぎてしまった自分から見れば、その時にしか出来ないことがある。青春っぽい日々。花が枯れてしまってからでは取り戻せない、というような気持ちでしょうか。

また周防さんも 太一に関わる事によって気づいた、のだと思います。
カルタ名人になる、東大に合格するなど、競争で勝つ事がゴールだと思っていたら、その先ががらんどうでした。でも、人に与える、繋ぐ、そういうことが出来るひとが本当の意味で強い人なのだと。だから原田先生の情熱にひかれるものがあったのでしょう。
愛情、愛情、愛情。

私も娘たちがいるので、ついつい余計な事を言ってしまいます。それは自分自身が、もっと頑張れたんじゃないか、という気持ちの表れなのかもしれません。
後悔のできるだけ少ないように。

でも、転ばぬ先の杖で言いすぎるのは かえってよくないかもしれません。大人の一般論、常識に縛られ過ぎないように。

子供に響くのはシンプルな言葉なんだろうな。

一生懸命は楽しいよ。

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