囲碁でなかなかみんなが言うような「トラウマ」のようなものが出てこない私。

音の周波数から本来の自分とチューニングすることで、潜在意識にあるトラウマに自分で気付くっていうのをやってる友達に話すと、その方も同じように出てこないと。

そこでその方の気付きを聞くと、私にも当てはまるかも!?ということが。

私はいつも私に起きることを「大したことないって思ってる」ということ。

周りの人はいろんなトラウマが出てきて「それは大変だったね」ってことが出てきてる。

「それに比べると、私のあのことはそこまで大したことないもんな〜」みたいな感じで。

過去の記憶を思い返しても、ひもじい思いをして辛かったとかはなく、死ぬまで苦しんだってことはあまり記憶にない。

長年やってきたハンドポールの経験から、肉体的精神的にきつい状況を味わってきたことも関係していると思うけど、「あの経験に比べれば全然楽じゃん」って思えるし、

「生きてるだけで丸儲け」っていう言葉があるけど、本当に命があればどうにかなる、みたいに思ってるところがあるからかもしれない。


そして、大抵のことはちゃんとやればできてしまう。

勉強も運動も、仕事も。

なので、何かができなくて苦しんだということもなかったし、やりたいことはできるまでやるし、やってもできなければ、できなくていいんだと開き直れる自分がいる。

今思うと、これって私の強みだよな~。

だからあまりストレスなく生きてこれたのかも。

いい意味で、逃げ道を知っていたからいつでもそこに行けるという柔軟性があるとともに、いつでも逃げられるように逃げ道を作っているのかもしれない。

常にリスク回避しているなとは感じるかも。

だからこそ、大失敗はない。

でも、その代わりに大成功もない気もする。


話を戻すと、「大したことない」の中には「私のことは大したことないから、私にかまわず大変な人のところに行ってあげて」みたいな意味合いもあったりする。

ただ、その裏には「でも、私のことを見てほしい」とか「本当はかまってほしい」みたいなさみしがり屋の部分もあったりする。

だからこそ、仕事で上司に上っ面な部分しか見てないような発言があると、モヤモヤすることもあった。

囲碁を一番最初にやった時に出てきたアレも、もしかしらココからきているのかな、、、

自分からは○○にならないけど、、、

見ててくれていることが分かったりすると○○になる、、、!?


私のことが知りたいって方は「○○ってなに?」って聞いてもらえると、教えちゃうかも。

知らなくてもいい情報だけどね。笑


そんなこんなで何となく、「わたし」というものが紐解かれていっている気がします。

大した情報でないけど、恥ずかしいから後々有料記事にするかも。笑

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