生きながら火に焼かれて

最近InstagramやFacebookなどのSNS上で"black and white challenge"てのが流行ってるらしい。

https://abcnews.go.com/International/iranian-turkish-women-join-black-white-instagram-challenge/story?id=72084792

高校の時「生きながら火に焼かれて」という本をたまたま手にとって読んで、衝撃を受けたことを思い出した。
同じ地球上で、女に生まれたというだけでこんな扱いを受ける文化が存在するというのを知って。同時にボランティア等の介入や異文化理解の難しさみたいなものも知って、進路を決めた。

大学で異文化交流について更に理解を深めるにつれ、そもそも同じ文化圏で育った他者とでさえも理解し合うことがこんなにも難しいのに、異なる文化圏で育った者同士が本当に理解し合うのは簡単なことではないとわかった。

更に、異文化交流と括ってしまうと外国や他言語等のわかりやすい異文化との交流という表層的なイメージをまず抱くけれど、そのようなわかりやすい違いではなく自己と他者との違いを理解するということもまた異文化交流であった。

日本の文化を基準に考えて中東の文化を否定しても、押し売りにしかならない。自分の立場から頭ごなしに他者を否定しても何も響くはずはない。でも、どう考えたってこんなのはおかしい。じゃあ、どうしたらおかしいということを理解して貰えるだろう。自分の考えを理解して貰うために、先ずは相手を理解して相手の意見を受け止めて、そこからどう話し合うか考えていくのが異文化交流の第一歩だった。

社会人になって外国や他言語に触れる機会は減ったが、取捨選択できない人間関係の中で多くの他者と関わらざるを得ない環境で、むしろ異文化交流について考える機会は増えた。その後結婚もし、出産もしたけれど「人間はどうしたら理解しあえるのか」は人生の永遠のテーマだ。

BLMのムーブメントしかり、本件しかり、地球上で起きている様々な問題をインターネットやSNSを通じて世界中が問題視することができる現代は革新的だと思うが、本当の意味での異文化交流、異文化理解に繋がっているのだろうか。