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文体の舵を取れ|練習問題⑥ 老女

動詞:人称と時世

全体で1ページほどの長さにすること。
テーマは、1人の老女がせわしなく何かをしている——そのさなか、若い頃にあった出来事を思い出している。ふたつの時間を超えて〈場面挿入(インターカット)〉すること。〈今〉は彼女のいるところ、〈かつて〉は彼女が若かったころに起こった何かの記憶。その語りは、〈今〉と〈かつて〉のあいだを行ったり来たりすることになる。この移動、つまり時間跳躍を少なくとも二回行うこと。
1作品目:一人称(わたし)か三人称(彼女)のどちらかを選ぶこと。時制——全体を過去時制か現在時制のどちらかで語りきること。〈今〉と〈かつて〉の移動は、読者にも明確にすること。

<練習>

むしりそこねた羽根が残っていないか、丁寧に確かめる。はちきれんばかりの鶏の表皮に、しわの刻み込まれたしみだらけのてのひらを這わせ、ぽちりとあたる突起があれば、親指と人差し指の腹を擦り合わせて、引っこ抜く。薄暗い厨房に、ミドリの目は利かない。血抜きはすでに済ませてある。内臓を抜き、がらんどうとなったその腹の中を、水でよく流す。足の付け根も胸の肉も、水水しく張りがあるのは若い鶏だったからだろう。若い雄は凶暴だし、うるさいばかりだ、とミドリはおもう。嘴に突かれて逃げた、幼い日の自分をふるいたたせながら、鎌で、鶏の首を刈り締める。すぱ、と切り離された頭が、きょろきょろと地面をのたうち、鶏冠が土に汚れる。あたまを探して直進するからだが、鶏小屋にぶつかる前に捕まえる。しなやかな肉の全体に、まんべんなく岩塩を擦り込み、空洞になった腹にもふたたび手を突き入れる。降誕祭のたびに、こうして、鶏の世話をする。たくさんのお客を招き、ミドリと、父と母と、祖母と叔母とが総出で料理をふるまうのだ。ナラシノも来ると聞いて、あの日のミドリも、ずいぶん張り切った。わざわざ休みを取って遊びに来るというから、赤色のワンピースを選び、袖を通す。肩のところがわずかに膨らんだ、別珍の、ひざ丈の、深い赤こそが、誰よりも似合うと褒めことばを集めたはずの一張羅だ。好きになりかけていたその人は、恋人らしきうつくしい女を連れ、彼女もまた、真っ赤なドレスをまとっている。鮮やかな赤は、甘い香りのする女の子をこれ以上ないほど、愛らしく引き立たせる。ケーキを焼いて、鶏を絞めて、羽根を毟り、血を取って火にくべて、ミドリの手は荒れ、生き物のにおいが染み込んだまま消えない。来客らにワインを勧めながら、グラスを握り、突き出した指の汚れていることが恥ずかしい。泡立てたばかりの生クリームより繊細で、やわらかそうな頬がナラシノの腕の中でとけているのを、ミドリは、憎みながら眺める。爪の先を薔薇色赤色のワンピースなんて、悪目立ちするだけの装いをどうして選んでしまったのかと、挨拶もろくに出来ないまま。ナラシノはミドリに耳打ちをして出て行こうとする。もう、会えないことはわかっている。わかってはいるが、去り行く背中を追いかけようとしたその時に、彼女がたちふさがり、ミドリは先に進めない。剥かれた鶏を撫でる親指に、今、異物が触れる。埋もれた羽根を、根元から引き抜く。毛穴を残し、肉から取り外される。親指の幅ほどの小さな羽根は、白く、今朝の雪にも似ている。あの雪の日に出会いさえしなければ、焦がれるようなこともなかったのにとミドリはナラシノの横顔をおもいだす。居間で待つ、孫娘らの声がする。腹に詰め物をしたら、あとはオーブンに入れるだけである。ミドリは、愛する者たちと、しあわせな暮れの夜を持ちたいだけだった。火を入れ、薪をくべねばと腰を上げる。
(3人称/現在時制/1,192字)

2作品目:一作品目と同じ物語を執筆すること。
人称——一作品目で用いなかった人称を使うこと。時制——①〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制、②〈今〉を過去時制で、〈かつて〉を現在時制、のどちらかを選ぶこと。

<練習>

羽根は残っていないかと、わたしは、何度も確かめた。しわの刻み込まれたしみだらけのてのひらに撫でる鶏は、ぱつりとはちきれそうだった。表皮はぬらついて、ぽっちとあたる突起があれば、親指と人差し指の腹を擦り合わせて、抜かねばならん。薄暗い厨房に、目はもう利かなかった。血抜きは終わらせてあった。内臓を抜いた腹の中を、水でよく流した。手を入れてこすって、骨を撫でた。足の付け根も胸の肉も、水水しく張りがあるのは若い鶏だからだろうとおもった。この雄鶏は凶暴で、殴り殺したやりたくなるほどうるさかった。嘴に突かれて逃げる、幼い日の自分をふるいたたせながら、鎌で、鶏の首を刈り締めた。すぱ、と切り離された頭が地面をのたうち、土に汚れる鶏冠を蹴飛ばしてやった。あたまを探して直進するからだが、鶏小屋にぶつかる前に捕まえた。まんべんなく岩塩を擦り込み、空洞になった腹にもふたたび手を突き入れた。降誕祭のたびに、こうして、鶏の世話をするのがお役目で、たくさんのお客を招いて、父と母と、祖母と叔母と総出で料理をふるまった。あのときも、ナラシノも来ると聞いていたから、それはずいぶん張り切って、娘盛りのわたしはてらいなく赤色のワンピースを選んだ。薔薇を型押した、花弁みたいになめらかな赤。母親も勧めてくれたはずの赤。肩のところがわずかに膨らんだ、別珍の、ひざ丈の、独特のその深い色味こそが、誰よりも似合う、と賞賛を集めたははずの一張羅。わざわざ休みを取って来たと言ったナラシノは、恋人らしきうつくしい女を隣に置いていた。その女もまた、真っ赤なドレスをまとっている。くっきりした鮮やかな赤に、甘い香りのする女が、これ以上ないほど愛らしく見えて。ケーキを焼いて、鶏を絞めて、羽根を毟り、血を取って火にくべるわたしの手は、切れて、荒れて、痛い。生き物のにおいも、染み込んだまま消えない。何度も、何度も、手を洗う。来客らにワインを勧めながら、突き出す指先の汚れていることが恥ずかしい。華やいだ笑い声に振り替えれば、泡立てたばかりの生クリームより繊細で、やわらかそうな頬がナラシノの腕の中でとけている。赤色のワンピースなんて、悪目立ちするだけの装いを、どうして選んでしまったのかとおもうと、途端にいたたまれない。挨拶もろくに出来なかったわたしに、ナラシノが耳打ちをして出て行こうとする。もう、会えないことはわかっている。わかってはいるが、去り行く背中を追いかける。けれど、立ちふさがる女に、それより先には進めない。剥かれた鶏を撫でる親指に、今、異物が触れた。埋もれた羽根を、根元から引き抜いた。毛穴を残し、肉から取り外した。親指の幅ほどの小さな羽根が、白く、今朝の雪にも似て見えた。あの雪の日に出会いさえしなければ、焦がれるようなこともなかったのに、とナラシノの顔をおもいだそうとした。居間で待つ、孫娘らの声がした。腹に詰め物をしたら、オーブンに入れるから。愛する者たちと、しあわせな暮れの夜を持ちたいだけだった。火を入れ、薪をくべねばと腰を上げた。薪を取って来て。火を入れて。
(一人称/〈今〉を過去時制/〈かつて〉現在時制/1,268字)

鶏の丸焼きをつくった日に、つるっと出てきたミドリ(老女)のお話。
1ページ、とのことだったので、A4での1ページを想定していたのだが、これ、もしかすると原稿用紙1ページのことだったのかもしらんな、と、書き終わって気づいたりなどした。書きぶりも含め、これで、舵取りが出来ているのかどうかは、わからない。


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