おせちのある正月

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

おせちの写真をサムネ(サムネ?)にしましたが今年もおせちを食べていません。

インスタグラムのストーリーズを見ると、みんなおせちを食べていて、みんなのお母さんすげ〜って思った。

うちも祖母が生きていた頃は祖母の手作りおせちを食べていた。

私の母はこういった季節もの(七草粥や、冬至のかぼちゃ、恵方巻、等)に一切興味がなく、家事の中で料理がいちばん嫌いと言うほどなので、当たり前のようにおせちは出てこない。

実は私は季節の移り変わりや節目を楽しめるLadyになりたいと思っている。

実家を出たら、1月7日には七草粥を作り、冬至にはお風呂に柚を浮かべてかぼちゃを食べ、節分にはきちんと決まった方角を向いて恵方巻を食べて、3月3日にはちらし寿司とひなあられを食べる。そんな生活をするのが私の夢である。

実家にいてもやればいいのだけど、家族に小馬鹿にされるような気がして、気が引けてしまう。


祖母が亡くなってからお正月は一気につまらなくなった。私のグランドペアレンツは母方の祖父しか今は生きていない。父方の祖父は父が18歳の時に亡くなっているし、祖母は遠い田舎の山奥に暮らしていたので、あまり会ったことがなかった。

だから、私にとってのグランドペアレンツはイコール母方の祖父母である。

祖母の戒名は「笑風光明」だ。その名の通り、いつも明るくて、人を笑顔にする人だった。「笑」と「光」はそれぞれ祖母と祖父の名前の1文字から取ったもので、私はこの戒名がとても好きだ。戒名に好きとか嫌いとか無いのだろうけど、私は祖母のお葬式でお坊さんが「笑風光明」を付けた由来を話してくれたときに、この4文字を一生大切にしようと思った。

つまり、祖母がいないと何となく盛り上がらない。だからここ最近は親戚で集まることもなく、家で正月を過ごしている。

これもまぁ、つまらない。紅白歌合戦でよく分からない演歌歌手が派手な衣装で歌っているのを適当に眺めるのが大晦日の醍醐味なのに、弟にRIZINに変えられる。(今年はシバターの試合を見られたのでよかったけど)

もちろん年越しそばなんか食べない。ピザと中華オードブルを食べた。(パーティー飯だったのでまだマシな方だった)

私はコテコテの大晦日・元旦をやりたい。

実家の年末年始は虚しくなるので、来年というか今年の大晦日は友達とホテルでカウントダウンパーティーがしたい。


つまらない正月を過ごしているせいで、本を読んだり、断捨離をしたり、こうやって文章を書いてみたりと、自分と向き合う時間を過ごすことになっている。

案外、これも悪くないと思った。

スケジュール帳が埋まっていると、自分が社会との繋がりを持っていることに安堵感を抱いてしまう。

でもその中には、意味のない飲み会や、必要以上にシフトを入れてしまったアルバイトなど、「なんとなく」スケジュールを埋めたものも数多くあった。

孤独を感じるのは1人でいるときではなく、みんなでいるとき、という言葉を最近耳にした。私のことかと思った。人数が多めの食事会やお出かけは話題に興味があるフリをすることもあるし、やっぱり疲れてしまう。

大学生的社会適合者のフリをして生きるのは辞めようと思った。

SNSで他人の私生活が覗けるようになってしまったせいで生きづらくなってしまった部分があるけど、上手に生きていきたいな〜。


あんまりにも退屈な正月のせいで、久しぶりに今年の目標なるものを作っている。今年はwish listをやってみた。自分の叶えたいことを、些細なものから、到底叶いそうにないようなものまで何でもリストにするものだ。

wish listを100個書き出している人が多いようだけど、私は最低100個にして思いつくだけ書いてみようと思う。今の時点で83個。意外とすらすら出てくるものだ。

ただ、これは受験期に買う参考書と一緒で、リストアップしただけで、理想の自分になれたような錯覚になってしまうことに注意したい。

これを手帳など頻繁に目に入るところに書くことが大事だと言う。

今年の大晦日にwish listのどの項目が達成できたのかを○△×で振り返りしたいな。


最後に。


TwitterやInstagramで全世界に晒せるような、きれ〜な字で書かれたwish listに何の意味があるんだばーーーーか!!!


こういう斜に構える思考、やめたい。




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