見出し画像

グレンリベット 1982 / 30Yo 桜花

東京の桜はもう散ってしまったけれど、緊急事態宣言下の池袋ジェイズ・バーのカウンターに桜の花が再び咲くことになった。

ラベルの向こうにウイスキーが減って行く様を見ることができる。下地の紺色は夜空を、丸く抜かれた穴は月を表しているのだろうか。桜の花は月を背中に咲いている。

30歳を迎えた彼女は、落ち着いて穏やかでしっとりしている。上品な華やかさを持っていて、サバサバした印象。大騒ぎをして自己主張するタイプでないことは明らかで、だけど、忘れられない存在感がある。

飲み手に寄り添おうとする意図も感じて、僕はそのことを嬉しく思う。
とても。


先日「彼氏に誤解をされて困っている」と訴える女の子と話をしていて、その誤解の内容より彼女の大騒ぎっぷりが印象的だったので、今夜はそんな話を少しを。

彼女は「そんなつもりじゃなかった」「そんな風に思われるとは思わなかった」と訴える。要するに、彼女には「私をこのように理解して欲しい」という形があり、ただそれが、うまく伝わらないことにイライラしている。

僕に言わせれば、言葉と振る舞いが一致していない。そういう女の子だと理解してもらいたいなら、その行動が真逆という話。

どのように問いを差し向けても、「その時の私はこう考えた」「その時の私はこうした」と自分に注目し、自分の話ばかりを繰り返す。

「そんなあなたの振る舞いを見て、彼氏はどう思っただろう?」と問い掛けるが、「そんなの私のことじゃないから分かる訳ない」とご機嫌が悪い。

つまりは「私の気持ちを汲まない相手が悪い」という結論に持って行きたいのだが、彼女の方こそ彼氏の気持ちを理解しようとしないことは明らかだ。

人間関係というのは「あなたが何を思っていたか」ではなく、「あなたがどのように思われたか」で決まってしまうことがあるよね?僕はそう問い掛けた。

被害者に認定されたい彼女は、自分の被害にしか関心がない。自分が被害者であることの正当性を担保して、相手が加害者であることを立証したい訳だ。

とは言え、そんな彼女は彼氏に関心がなく、彼氏の方もまた被害者であるかもしれない可能性について検討しない。

被害者は正義なのだろうか?

正義のために自らを被害者認定して欲しい人たちが溢れ返ったら、世の中はどうなってしまうだろう?僕はただ、あなたが傷付くことを望まないだけなのに。

とは言え、そんな彼女の大騒ぎっぷりは、彼女の人生に彩りを与え、彼女を成長させても行くのだろう。


このグレンリベットは先ほどまでの彼女と違い、飲み手に寄り添うウイスキーなのだと思う。発信力があるのではなく、ノイズが少ないウイスキーなのだ。

グラスの中を覗き込めば、彼女がこちらを見詰めていることが分かる。僕を見詰めながら「あなたは私をどう思いますか?」と問い掛ける。

そして、僕はその問い掛けにこんな風に応えた。

フルーティな蜂蜜の甘さ。オレンジピール。洋梨。桃クリーミィ。桃の皮の苦味。口に含んで、とても繊細。ただ細いだけではなく、しなやか。甘さの対極にある、柑橘フルーツの苦味。落ち着いて、穏やかで、ただ飲み易いウイスキーなだけでないことを主張し、しっとりしている。

今度は僕が彼女に問い掛ける。「もう少し一緒にいてもらって良いでか?」。グラスの底で、彼女は美しく微笑んでいる。

彼女の美しい微笑みも含め、それらのすべてが僕の誤解であっても、そのことは大騒ぎすることなく僕の人生に多くの彩りを与えてくれるだろう。

こちらのウイスキーはシェア・バーに出品させて頂きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?