好きなものなんてなかった。
幼い頃、好きなものはあっただろうか?野球、電車、プリキュア、本、ゲーム、かぶとむし、お絵描き、ピアノ、、、
覚えていることがほとんどで覚えていなくとも親に聞けば思い出すこともあるだろう。大きくなって好きなものにふと触れたときに当時の感情から空気感までを思い出し、ノスタルジーを感じられることは大人の特権の一つだ。
とはいっても、ぼくには好きなものなんてなかった。
現在。ぼくはいろいろな好きなもので頭と空間を満たしている。常に発信される情報にアンテナを張り、様々なものを収集し続けている。過剰ともいえるくらいだ。……それらは本当に「好き」なものなんだろうか?世間のみんなが好きと呼んでいる、その好きって本当に「好き」なのか?
常に他者の目が介入してくる。「周りからセンスが良いと思われたい」「誰かと話をあわせて気に入られたい」そういった動機が始まりにある。その対象が始まりではない。それは本当に好きなのか?
精査してみると他者が絡まない好きの感情はほとんどない。ぼくの言う「真の好き」は存在しうるのだろうか。対象が感情の中心にあり他の人なんかなりふり構わず没頭するような。
ここで気づく、それこそが愛だと。
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