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「Malinaらしいよね」 今朝、顔の見えない誰かにそう言われて 目が覚めた。 あまりいい目覚めではない。 今思えば、昔から、そうやって言われるのが苦手だった。 もちろんいつもその言葉に 悪意が込められていたわけじゃない。 けれど、誰かにそうやって言われる度、 なんだか「私らしさ」を押し付けられているような気がして たまらなく窮屈だったのを覚えている。 けど、私はそうやって色んな「私らしさ」を 押し付けられ続けるうちに、 その人にとって私は常に「そう」あら
初めて彼をテレビで見たとき、 正直「また変なのが出てきた」と思った。 今思えばそこには、多少の軽蔑さえあったかもしれない。 ホストという非現実的な世界の住人。 それだけでも十分なのに、そこに輪をかけた超個性的なキャラクター。 私は、完全に色眼鏡で、彼を見ていた。 でもきっとそれは、私だけではないはずだ。 けれど気が付けば、今、 多くの人が彼の魅力に惹かれている。 そういう私もその1人で、 少しずつ変わっていく彼への感情と 彼の仕事への姿勢、哲学、信念、そういったものを
朝。 早く起きようと思ったのに、起きれなかった。 昼。 気を抜きすぎて、仕事でミスした。 夜。 寝なきゃいけないのに、ちっとも眠れない。 そういえば、 毎日書こうと思っていたnoteも、 結局、書けてないや。 あれも。これも。 本当、ダメダメだ。 そうやって、僕は息をするように僕を責める。 けどよくよく考えてみたら、 「よくそんなに責められるなぁ」って。 そう思ったらなんだか、可笑しくなった。 ほんの少しだけ、愛おしくなった。 あぁ、こんな自分も、 悪くな
見ない振りをしてきた情けないことと ほんの少しだけ向き合った。 ちゃんと向き合った自分をほめてあげたいし、 その結果、行き止まりだと思っていた道が 少し拓けたこともちゃんと喜びたい。 とは言え、もちろん 全てが解決したわけじゃないし、 情けなさや不安だって、まだまだ残っている。 けど、これでいいんだと思う。 だって多分、私はずっとそうやって生きてきたから。 思い返せば、たとえどんなに絶好調でも、 私の頭の片隅にはいつも「不安」や「足りないもの」があった。 けどだから
今、私には、はっきりとした目標がない。 「ないものはないのだから」と、思う反面 「本当にこれでいいのだろうか」と、不安に襲われる。 *** 例えば、 こうして毎日noteを書き始めてみたものの 誰に向けて、どんな方向性で書いていきたいのか そういったことが全くはっきりしていない。 それでも、ただとにかく 書きたいことを書き続ければいいと、思う反面 そんなんじゃ読んでくれる人は増えなくて、無意味だとも思ってしまう。 はたまた これから先、 塾講師として、1人の人間と
久しぶりに、部屋の掃除をした。 センター対策、冬期講習、私大/2次対策と駆け抜け、 いつの間にか新学年になり、気が付けば、来週からはもう春期講習だ。 この間、およそ3か月。 1日中、授業をしていたような時期もあったし、 スケジュール的にはそこまで重くはない時期もあった。 それでも心はいつも疲れていて 元々そんなに好きでもない掃除へとどうしても気持ちが向かなかった。 床に積み上げられた参考書や 日に日に溜まっていく埃を ただ、ぼんやりと眺めていたような気がする。
3月22日。 風はまだ少し冷たい。 デニムジャケットを羽織って家を出る。 いつもとほんの少しだけ道を変えて、買い物に出かける。 春らしい音楽の流れるイヤフォンを耳に差し込み、 桜が芽吹き始めた公園を歩いていると、 きれいな茶トラの野良猫と目が合った。 目が合ったのはほんの一瞬で 彼?彼女?はすぐに私から目を離し、別の方向を見つめた。 その視線の先には、穏やかに彼に話しかける 1人のおばあちゃんの姿があった。 茶トラは動くことなく、ずっとそのおばあちゃんを見つめてい
ドルチェ・ファール・ニエンテ 昨日、たまたまテレビで聞いて印象に残った言葉。 イタリア語で「何もしないことの幸せ」という意味らしい。 昨日は原因不明の頭痛が1日中酷くて、 横になっているしかなくて、何もできなかった。 だから案の定、 なんだか損した気分というか、罪悪感というか、 少しブルーな気分だった。 もちろん、それは番組としてのメインではなくて、 会話の中で、たまたま出てきた言葉。 けれど、妙に心に残った。 そういう言葉に出会う度、なんだか嬉しくなる。 ドラ
なんとなく気乗りしない月曜日。 春物のブルゾンを羽織って軽快に駆け出す女の子を横目に、 私はからし色のタートルネックに顔を埋める。 なんだか、自分だけ冬に、取り残されたみたいだ。 **** 特になにがあったわけでもないのに、 何もしたくないし、 誰とも話したくない。 授業だってしたくないし、 子どもが別に好きなわけじゃないし、 好きなアイドルだとか 好きなものだとか 正直、興味はない。 なんでこの仕事、してるんだっけ? 無駄にうるさい革靴の音も、 生徒たちの大
最近また一から英文法や英文解釈といった 英語の本質を学び直しているんだけど、 多くの参考書はそういった文法の本質を説明するときに 「日本語と英語の違い」をいくつか例として挙げていて、 それがまた、おもしろい。 例えば「時制表現」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ I forgot my smartphone yesterday. (昨日、スマホ忘れちゃったんだ) I have forgot my smartphone. (スマホ、忘れちゃった…) 日本
ようやく大学受験が落ち着いたなぁ、なんて呑気に構えていたら、 どうやら世間も職場も「次」へと向かって、とっくに動き出しているようだ。 春期講習への問い合わせや 新学年に向けての体験授業で ほんの少し寂しくなっていた予定表はどんどん埋まっていく。 あまり先のことを考えて動くのが得意でない私は、 常に先を見て動いている上司や保護者・生徒たちを見て すごいなぁ、なんてつい感心してしまう。 きっと私はそういう人たちのようにはなれないけれど、 最近は、別にならなくていいと思うよう
授業のやり方を変えた。 テキストも作り直しながら、手探りの日々を送っている。 使い慣れたテキストで、説明しなれた言葉でやったほうが そりゃもちろん「やりやすい」に決まってる。 けど、それをしなかったのはやっぱり今年の生徒たちのことがあるから。 何人も、悔しい想いをさせてしまった。 努力の方向性が完全に正しかったのかは別として、 誰一人として「頑張っていなかった」生徒はいなかった。 『頑張ったのに・・・』 そう思わせてしまった。 「大学受験の失敗」という受けとめ難い