「好きすぎて辛い」という現象

「好きすぎて辛い」みたいな事言う人がたまにいますけども、見かけるたびに「あれは多分、重箱の隅を突くのが好きな人が超絶に時間を持て余しているんだな〜」と思うわけで。好きでいる事で疲れるのであればそれはどこかが何か間違ってしまっているしそれって既に相手に期待しすぎている状態なわけで。恐らく勝手に思い描いていた相手像に勝手に幻滅して「裏切られた」とか言い出すのがオチだと思うんですよ。どうですか? そんなもんは自慰ですよ。自慰。「あの人は何を求めているか」とか「あの人はどうしたら喜ぶか」とか考えてたら「好きすぎて辛い」とか感じる暇ないんですよ。どうですか?

本来「好きでいる」という状態は活力になるんですよ。嫌な事があってもその人の顔を見たらどうでもよくなったり、好きな相手に悪態をつかれても鞄におやつを入れてくれていたりすると嬉しい。だから「好きだけど辛い」というのは単純に、何かを求めすぎてるんですね。自分の事しか考えてない。「好きすぎて辛い」というのは言い換えると「愛した分だけ愛されていない感じがして辛い」に変換できる。で、自分の事しか考えてなくてもいいんです。愛した分だけ愛されるなら、自分から愛した方がその分返ってくるわけですから「情けは人のためならず」方式でやればいいんですよ。

それができないのはもう「愛」じゃなくてただの「執着」です。おもちゃに対するそれと同じです。相手をおもちゃみたいに扱っているうちは、自分もおもちゃみたいに扱われてもおかしくないです。で、たまにはおもちゃみたいに扱ったっていいんです。自覚して「おもちゃにしてごめんね」って言えればそれでいいんですよ。それだけ客観的に見られていればお互い対策が取れますから。

さっきからごちゃごちゃ何が言いたいかって言うと、もう「好きすぎて辛い」とか「会いたくてふるえる」とか、勝手に電池切れるまで震えてろバイブ野郎、みたいな話です(唐突に雑)(特に何があったわけでも癇に障ったわけでもなく、ふと思って垂れ流してみただけです)。ご清聴ありがとうございました。

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