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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第28話 今も残る紛争の爪痕

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n2d66ac7eace4?magazine_key=m0838b2998048
 
 この話は2019年初頭まで遡る。マレーシアのポートクランでコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は1本の電話を受けた。掛けてきたのは、氷堂の親会社であるフェータイル社(仮名)の役員のアレックスだった。フェータイル社は世界屈指のコンテナ取扱量を誇るコンテナリース会社の大手だが、アレックスは時折氷堂に電話を掛けてきては、無理な依頼をするのだった。今回も同様だった。
 
 「おはようございます、リツさん。お元気ですか?体調はいかがですか?何か大きな問題は起きていませんか?」
 
 こうやってアレックスはいつも氷堂の事を気遣うのだが、それは社交辞令に過ぎない事を氷堂は良く理解している。さっさと要件を言って欲しかった氷堂は、アレックスに対してこう言った。
 
 「ありがとうございます。お陰様で元気にやっています。でも1か月前にもお電話を頂きましたよね。たった1か月でそんなに状況は変わりません。その事はアレックスさんも良くご存じのはずです。アレックスさんから電話を頂く時は、大抵何かお困り事がある時です。今日はどんなご用件ですか?」
 
 意表を突かれたアレックスは笑いながら返答した。
 
「いやぁ。リツさんには参りましたね。全てお見通しの様です。分かりました。では要件を伝えましょう。リツさんはアフリカのコンゴ民主共和国(DRコンゴ)という国をご存じですか?実はそこから新しい大きな案件が入っていましてね。その事で相談したかったんです。」

 
「コンゴは資源国として知られていますが、今回はある商社からコバルトを運びたいという依頼が入ってきています。コバルトはリチウムイオン電池の燃料なんですがね、今世界中で車がEVになっていますよね。それで需要が非常に高まっているんですよ。そして実はコバルトの生産量の世界1位はコンゴで、世界で採れるコバルトのシェアの7割を有しているんです。リツさんはご存じでしたか?」
 
 アレックスから説明を受けた氷堂は考えた。確かにコンゴが資源国だという事は知っていたが、コバルトの世界シェアの7割がコンゴ産だという事は初耳だった。
 

 
 更に氷堂は考えた。今回のアレックスが持ってきた取引の規模はかなり大きいらしいので、恐らく相応に儲かる話だろう。しかしそんなに儲かる話を、アレックスが氷堂に無条件で振る事はまずない。何か事情があるに違いない。そう感じた氷堂はアレックスに尋ねてみた。
 
「アレックスさん、それは興味深い話ですね。ただコバルトの輸送がそれだけ儲かるのなら、フェータイル社で直接扱えば良いのではないでしょうか?何故私たちに仕事を回すのでしょうか?」
 
 質問を受けたアレックスは小声で笑った。そして答えた。
 
「さすがリツさん、鋭いですね。実はですね、うちの会社では扱いたくても扱えないんですよ。それはコンゴに対して、香港政府が退避勧告を出しているからなんです。あそこはずっと紛争が続いていますからね。我々香港人が行くとなると、保険とか面倒な手続きをしなければならないんです。それで『リツさんの会社にお願いしてみよう』という話になったんです。」
 
 これでようやく氷堂はアレックスがコンゴの話を持ってきた理由を理解した。しかし香港政府が避難勧告を出しているなら、日本政府も同じ対応をしているのではないか?そう考えた氷堂は、すぐに目の前にあるパソコンで、日本の外務省のコンゴの危険情報のウェブサイトを開いてみた。するとページにはコンゴの地図が描かれており、その地図は「渡航中止勧告」を表わすオレンジ色と、「退避勧告」を表わす赤色で埋め尽くされていた。どうやら2018年12月に総選挙が行われた結果、国全体が政情不安に陥っているらしい。
 
 この情報を確認した氷堂はアレックスに答えた。
 
「アレックスさん、私の方もコンゴの安全情報を確認したのですが、日本政府もやはり退避勧告を出していました。私の方としても、そこに行くのはかなりのリスクがあるのですが….」
 
 氷堂が言葉を続けようとした時、アレックスが割って入ってきた。
 
「いやいや、もしリツさんが今日本にいれば、私も敢えてコンゴの話など紹介していません。でも今、リツさんはマレーシアにいます。日本政府もマレーシアにいるリツさんの事など、大して気にかけていないでしょう。そうではないですか?」
 
 アレックスの言葉を聞いて、氷堂には断るという選択肢が無いことを理解した。アレックスにしてみれば、子会社の社長が海外で死んでも大した問題ではないのだろう。またこの話は氷堂にとっても決して悪い話ではなかった。実際にこれまで氷堂の会社は、大手ではリスクが高くて扱えないような案件を手掛けており、それが会社の利益の源泉ともなっていた。色々と考えた末、氷堂は答えた。
 
「分かりました。では私の方でコンゴに行き、話をまとめてきます。」
 
 そう言って電話を切った。
 
 
 2週間後、氷堂はクアラルンプール国際空港にいた。クアラルンプール国際空港はKuala Lumpur International Airportの頭文字を取って、KLIAと呼ばれている。


 ここは年間6000万人が利用するアジア屈指のハブ空港だが、ここからコンゴまでは、乗り換えを含めると約30時間を要する。オンラインで予めチェックインを済ませていた氷堂は、一人意気揚々と搭乗口へと向かっていった。しかしその後に氷堂がコンゴで目にしたものは、目を覆いたくなるような生々しい紛争の爪痕だった。そしてこれが彼の価値観を大きく変えるきっかけになるとは、この時にはまだ想像すらできていなかった。

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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