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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第16話 宗教のタブーが冒された時

前回の話はこちらから

https://note.com/malaysiachansan/n/n74c1fa218b40?magazine_key=m0838b2998048

 この話は2020年12月のある月曜日にまで遡る。氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日いつも通り朝8時にポートクランのオフィスに出勤した。一通りのメールチェックを終えたのが朝9時。そろそろ港湾の現場に顔を出そうかと考えていた時だった。COOのカイルディンが出勤してきたのだが、彼は右手に新聞を握っており、会社のドアを開けると大声で話し始めた。

「リツ、大変なことが起きた。ちょっとこれを見てみろ。先週土曜日の新聞にハラルフードの偽装の事が書かれている。問題のこの会社、以前のうちの取引先だぞ。」

 そう言うとカイルディンは氷堂の机の上に新聞を放り投げた。氷堂も慌てて目を通したが、書かれている内容は下記の様なものだった。

「ジョホールバルの中堅倉庫会社であるマタハリ社(仮名)が、ハラルフードの偽装を行っていた。マタハリ社はオーストラリアからの輸入牛肉を扱っており、全てハラルフードのルールに則って流通させていると申告していたが、実際にはカンガルー肉や豚肉が混入していた。このような食品偽装は過去40年にわたり行われており、これは重大な宗教上の冒涜に該当する。」

 この新聞を見た時、氷堂は事の重大さに気付いた。氷堂の会社はマタハリ社と直接取引があった訳ではないが、マタハリ社が手配した物流会社にコンテナをこれまで何度も短期リースで貸し出していた。幸いな事に現段階で貸出中のコンテナはないのだが、これまでもコンテナの中身は「ハラルフード」と申請されてきていた。これがもし偽装されたものであったのなら大問題だ。

 ここでハラルフードについて少し説明を加えておきたいと思う。ハラルフードとは、イスラム法で許された食品の事を指す。言い換えるなら、イスラム教徒でも問題なく食べる事ができる食材や料理の事だ。イスラム法の下では豚肉を食べる事が禁じられているが、豚肉が入っていないだけでハラルフードと名乗れる訳ではない。それ以外の食品に関しても、加工や調理に関して一定の作法が要求される事になる。この作法を遵守した食品がハラルフードな訳だ。

 この点でマレーシアは、「ハラル先進国」として世界に知られている。世界には300以上のハラル認証機関があると言われているのだが、マレーシアの特筆すべき点は、この認証制度を国が運営している点だ。1960年代にマレーシア政府は、JAKIM(ジャキム:マレーシア連邦政府総理府イスラム開発庁)を設立させた。これにより、国がハラルフードの信頼性を担保する事で、マレーシアのハラル認証は他の国が行っているそれよりも信頼性の高いものと考えられてきた。実際JAKIMのハラル認証の基準は、他の国のそれよりも非常に厳しい事で知られている。加えてその基準を遵守するための手順がマニュアル化されている為、「JAKIM式」と呼ばれる方法で世界各国のハラル認証団体がそれを踏襲している。言わばJAKIMはハラルフード界における世界的権威なのだ。

第16話 JAKIMロゴ

 近年マレーシア政府はこのハラル認証を国策として推進しており、このJAKIM式のハラル認証を世界に広めるために外交活動を続けてきた。現在世界には19億人のイスラム教徒がいると言われており、2060年にはその人口がキリスト教徒と比肩すると予想されている。つまりハラルフードの市場は拡大の一途を辿っており、そこにJAKIMがコミットする事で得られる経済的利益は果てしなく大きい。その最中に今回の偽装騒動が起きてしまった訳だ。その為に今回の事件は「一企業の偽装」という問題にとどまらず、「国家間での偽装」という国際問題にまで発展する可能性が出てきた。

 状況を理解した氷堂はカイルディンに尋ねた。

「これはかなりまずい事になっているね。すぐに対応を検討しよう。」

 それに対してカイルディンも答える。

「そうだな。事件はジョホールバルで起きたようだが、これだけ大きな問題になれば、管轄は中央省庁に移っているはずだ。これから税関の本局に向かって、一体何が起きているのかを確認しよう。幸い税関本局の署長のハズマンは俺の大学の同期だ。あいつなら、色々と教えてくれるだろう。」

 そう言うとカイルディンは席を立ち車に向かった。氷堂も共に席を立つと、カイルディンの愛車、BMWの5シリーズに乗り込んだ。

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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