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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第21話 ワクチン接種圧力の現実

前回の話はこちらから

https://note.com/malaysiachansan/n/nf195cb655070?magazine_key=m0838b2998048

 この話は2020年3月18日にまで遡る。この年の初めから新型コロナウイルスが世界各国で報告される様になっており、マレーシアにもその波が押し寄せていた。そしてこの日からマレーシアでは、世界でも最も厳格なロックダウンが施行されることになった。生活必需品を販売する店舗を除いた全ての施設・会社・学校は閉鎖され、また外を2人で歩く事すら許されず、違反した事業者や個人には高額な罰金が科されることになった。加えて街角には警察だけでなく軍隊までもが常駐し、平穏な町並みは一夜にして戒厳令が敷かれた戦時下の様に変わった。

 一方で5月頃になると感染者数が下落傾向に転じ始めた。欧米各国が感染拡大に苦しむ中、マレーシアはコロナとの戦争に勝利したかに思えた。そして厳格なロックダウンは解除され、街は賑わいを取り戻す事ができた。しかし10月頃には感染が再び拡大に転じ、その後はもうそれを止める事が不可能になってしまった。さてちょうどその頃、氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)が会社を経営するポートクランの港湾において、一つの事件が起きた。11月のある日、大規模なクラスターが発生したのだ。

第21話 冒頭の港湾の現場

 ポートクランの港湾には18000人もの労働者がいるが、このクラスターでは一度に200人以上の感染者が出て、残念な事に数人が死亡した。事態を重く見た港湾当局は、この日以降、全ての労働者に週3回の抗原検査を実施する事を命じた。この抗原検査の導入は事業者にとって重い負担となったが、その日以降、この様な大規模なクラスターは発生しなくなった。

 さて年が明けて2021年6月頃になると、遂に念願のワクチンがマレーシアにも行き渡り始めた。マレーシア政府はエッセンシャルワーカーから接種を開始したのだが、このエッセンシャルワーカーに港湾労働者も含まれる事になった。マレーシア経済において港湾ビジネスは経済の屋台骨であり、ここを止める訳には行かなかったからだ。そしてある日、氷堂は港湾当局の副長官であるイスマイルから、本館の大会議室へと呼び出しを受けた。これからワクチン接種の詳細について説明があるらしい。

 会議室には既に60名以上の事業者の代表が集まっていた。この会議室は200名以上が収容可能だが、ソーシャルディスタンスを取るために60名程度しか入れないようにしているらしく、この日は3回にわたり説明会が行われる予定になっていた。そして氷堂は1回目の説明会に呼ばれており、席が大方埋まったタイミングで副長官のイスマイル氏(仮名)が登壇した。

「皆さん、お忙しい中お集まり頂きまして、誠にありがとうございます。ご承知の通り、現在マレーシア政府はワクチン接種を急スピードで進めていますが、このたび港湾労働者たちも優先接種の対象となりました。接種の開始時期は7月を予定していますが、何しろ18000人もいます。しかし事態は逼迫しており、猶予はありません。我々当局も迅速な接種を後押ししますし、皆さまにも是非ご協力頂きたいと願っています。」

 イスマイルはここまで話すと一息ついた。普段は余り見せない真剣な表情を見て、事業主たちも政府や港湾当局のワクチン接種に対する本気度を伺えた。そして話を続けた。

「皆さんは驚かれるかもしれませんが、この18000人の接種を僅か12日間で終える予定を立てています。一日当たり1500人です。そして3週間後には2回目の接種を開始し、全員の接種を5週間以内に終える事が期待されています。そして重要な点ですが……労働者全員にワクチンを接種して頂きます。もし接種を拒む方がいれば、その方は保税区に入境できません。つまり港湾労働者として働く事は不可能です。その様な方が出た場合は、各事業所で処遇を検討してください。皆さんの会社が港湾以外の現場をお持ちなら、そこで働く事も出来るかもしれませんし、それが無ければ解雇して頂く事になるでしょう。この点をご理解下さい。」

 この言葉を聞いて会議室はざわついた。当時は欧米で先行してワクチン接種が進んでいたものの、まだアジアではどこの国もワクチンを入手するのに難儀している状況だった。そしてマスコミではワクチンの副反応についても報道される様になっており、労働者の中には「ワクチンが来ても打ちたくない」と事前に願いを表明している者もいた。実は氷堂の会社の従業員にも、そのような者が一人いた。それで氷堂は意を決し、イスマイルに質問をしてみた。

「イスマイルさん、いつも港湾を円滑に運営して下さり感謝しています。先ほどイスマイルさんは、『労働者全員がワクチンを接種する必要がある』と言われました。例えば抗原検査を毎日行う事などによって、この措置に例外を設ける予定はありますか?」

 それに対してイスマイルは少し考え込んだ。そして5秒ほどして、遂に彼は口を開いた。

「リツさん、残念ながら例外はありません。全員です。ワクチンを打たない人は、一歩たりとて保税区に入る事を許可しません。」

 その言葉を聞いて、会議室には沈黙が流れた。しかしこれはまだ、想像を絶するワクチン接種の圧力の序章に過ぎなかった。

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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