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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第33話 太平洋戦争の悲しい追憶

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n7b79df821e18

 
 この話は2017年まで遡る。この前年にマレーシアに移住した氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、コンテナリース会社を立ち上げ、それを何とか軌道に乗せた。氷堂はここまで不眠不休で働き続けてきた為、少し立ち止まってしてマレーシアという国をもっと知りたいと考えていた。移住して1年以上経過しても、氷堂が国内で行った事があるのはポートクラン周辺だけで、それ以外の地域の事を殆ど知らなかったからだ。それで氷堂は国内旅行を計画する事にした。
 
 その中で氷堂が降り立ったのが「コタバル」という街だった。コタバルはマレーシアの半島側の最も北東に位置する街で、わずか30km先にはタイとの国境が迫っている。
 

 
 ちなみにこのコタバルという名前には、「新しい街」という意味があるのだが、街の歴史自体は非常に古く、マレーシアの東海岸を代表する古都の一つだ。何よりもこの街の特徴として挙げられるのは、クアラルンプール近郊では決してみられないムスリムの文化だ。このコタバルのあるクランタン州は、マレーシアで最も色濃くムスリム文化の影響を受けている地域であり、人口の95%以上がイスラム教徒だと言われている。また州がイスラム歴を採用しているため、公休日は日曜日ではなく金曜日だ。更に看板などの表記はマレー語に加えてアラビア語でも書かれている。この異文化溢れるコタバルの街の様子を見て、氷堂は胸の高鳴りを感じた。
 
 そして何よりも氷堂がこのコタバルを選んだのは、この街が太平洋戦争の激戦の舞台となったからだ。1941年12月8日、コタバルに日本軍が上陸し、マレー作戦が開始された。多くの人は「太平洋戦争は真珠湾攻撃をもって開始された」と考えているが、実はそれより約1時間前に日本軍が当時イギリス領であったコタバルに上陸し、進軍を開始していた。故にこのコタバルこそ太平洋戦争開戦の地と言っても過言ではないかもしれない。氷堂は日本人として、この目で歴史を確認したいと考えていたのだ。
 

 
 さて小腹が空いていた氷堂は、何の変哲もない街角の食堂に入った。そして席に着いた氷堂は、甘口のコーヒーを注文した。それを口に含んだ時、英語で氷堂を呼び止める声がした。
 
「こんにちは。あなたは日本人ですかね?差し支えなければ、隣に座っても宜しいですかね。」
 
 目を上げるとそこには老齢の男性が立っていた。ちなみにこのコタバルの街では殆ど英語が通じず、住民の多くはマレー語しか話せない。しかし彼は英語で話しかけてきた。恐らくある程度の学歴があるか、もしくは育ちの良い男性なのだろう。旅の一期一会を大切にしていた氷堂は、「勿論どうそ」と言って着席を促した。すると男性は話を続けた。
 
「やはり日本人でしたか。見た目でそうかと思いました。私はバハルディンと言います。ちょうど暇だったんでね、誰かと話せたらよいなぁと思ってこの食堂に来ていたんです。ここは地域の人々の交流の場なのでね。そして私はあなたを見て、すぐに日本人だと分かりました。こんなところで日本人にお会いできるとは思いませんでしたよ。嬉しいです。」
 
 そう言うとバハルディンの顔から笑みがこぼれた。その笑顔を見て、氷堂も返した。
 
「こちらこそはじめまして。私はリツと言います。私は昨年に香港からマレーシアに移住してきたのですが、このコタバルの街は始めて来ました。素晴らしい街ですね。」
 
 それを聞いたバハルディンも言葉を繋ぐ。
 
「そうですか。この街を気に入って貰えて、私も嬉しいです。」
 
 こうして二人は他愛もない会話を楽しんだ。話を聞くとバハルディンは、コタバル生まれのコタバル育ちで、年齢も80代半ばという事が分かった。それで氷堂は考えた。「もしかするとバハルディンはマレー作戦の目撃者かもしれない」と。それで場の雰囲気が温まったところで、氷堂は慎重にその件を尋ねてみた。
 
「もしかするとバハルディンさんは、太平洋戦争時にマレー作戦を直にご覧になったのではないでしょうか。」
 
 氷堂の言葉を聞き、バハルディンは大きく頷いた。そして返答した。
 
「リツさん、私は当時10歳でしたが、当時の事を今でも覚えています。また父親は実際にこの戦争に参加しましたので、小さい頃から日本軍の話を聞かされました。」
 
 やはりバハルディンは戦争の経験者だった。それで氷堂は話を続けた。
 
「もし可能なら、バハルディンさんのご経験を教えて頂けないでしょうか?勿論、辛いご記憶だと思いますので、難しければ大丈夫です。ただ私も日本国民として、過去の日本の歩みについてもっと知っておきたいと思っています。私がコタバルに来たのも、そのためなのです。」
 
 氷堂は謙遜にお願いした。その様子を見て、バハルディンも大きく頷いた。そして彼は「分かりました。お話ししましょう」と答えた。しかしその後に氷堂が耳にしたのは、想像を遥かに超えた、戦争がもたらした惨劇だった。

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香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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