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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第52話 糖尿病大国マレーシアの実態

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n00e5e3171782
 
 この話は2022年の年末まで遡る。マレーシアのポートクランでコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日も午前の仕事を終えてランチへ向かおうとしていた。ちなみに氷堂の会社には港湾の現場で働くスタッフが20人ほどいるのだが、その殆どはバングラデシュかパキスタンからの外国人労働者だ。一方で内勤のスタッフは6人ほどしかおらず、氷堂以外は全員がローカルのマレーシア人だ。そして彼らを束ねるのがCOOのカイルディンで、彼は海外出張でマレーシアを離れる事の多い氷堂に代わって、常に会社の陣頭指揮を執ってくれていた。
 
 2016年にマレーシアで会社を立ち上げた氷堂は、責任者を担える人物を探していた。その時に目に留まったのがカイルディンだった。彼は50代だが、ポートクランで20代からキャリアを積んでおり、氷堂の会社に入る前は地元の物流会社で営業本部長をしていた。その彼を氷堂は説き伏せ、破格の待遇でヘッドハンティングしたのだった。
 
 その後カイルディンは氷堂の会社が事業を伸ばしていく上で、いかんなく力を発揮した。例えばマレーシアの港湾で事業を進めていくには、表社会だけでなく裏社会とも時に対峙しなければならない。ここにはマフィアやギャングの複雑な縄張りがあり、それが密輸や汚職の温床にもなっている。それもあって毎日のように港には抗争に巻き込まれた者たちの土左衛門が浮かび上がる。このような状況の中でカイルディンは、氷堂の会社がトラブルに巻き込まれそうになる度に、持ち前の人脈を使って未然に問題を回避してくれた。カイルディンは本当に頼りになる男だ。
 
 このようにカイルディンはポートクランで有名人なのだが、彼の名前が知れている事にはもう一つ理由がある。それは身体が異常にデカいのだ。カイルディンの伸長は190cm近くあり、体重も約120kgある。その風貌はまるで熊のようで、このガタイがあるからこそ、裏社会の人たちとも引けを取らずに対峙できている。やはり腕力は正義の様だ。
 
 
 さて氷堂はいつものように社員を連れて、「ナシカンダ―」と呼ばれるマレー料理屋に入った。ナシカンダ―とは簡単に言えばカレー食堂の事で、好きな具在を選んでライスに掛けて食べる事ができる。料金もリーズナブルで、一人当たり10リンギット(約300円)もしない。それで社員と食事を取る時には、いつも氷堂が全員分を支払っていた。
 
 全員が食事を取って席に着くと、今度は各々がドリンクをオーダーした。カイルディンが頼んだのは、この日もアイスコーヒーだった。ただアイスコーヒーと言っても日本人が想像するような代物ではない。マレーシアのアイスコーヒーには砂糖とミルクに加えて練乳も大量に投入されており、加えて豆を焙煎する際には何とマーガリンが用いられている。正に不健康な素材のオンパレードだ。
 

 
 席に届けられたアイスコーヒーは一番大きいサイズで、なみなみとジョッキに注がれていた。するとカイルディンはそれを一気に飲み干し、同じものをもう一杯注文した。こんなに甘い飲み物を、こんなに大量に飲んで身体に良いはずがない。それで氷堂はカイルディンに言った。
 
「カイルディン、午前中の仕事もお疲れ様。でも前から言おうと思っていたんだけど、流石にその飲み方は止めた方が良いと思うよ。どう考えても糖分を取り過ぎだよ。」
 
 するとカイルディンも返答する。
 
「リツ、気遣ってくれてありがとな。確かにその通り、身体には悪いと事は分かっているんだが、これが楽しみで毎日の仕事を頑張っているんだよ。ただな…実は先週健康診断があったんだが、糖尿病の数値が非常に良くないらしい。それで年末年始の休暇の際に検査入院する事になった。」
 
 カイルディンの話を聞いて、氷堂は少し驚いた。それで言った。
 
「いや、本当に気を付けてね。カイルディンがいないと僕らの会社は回らないんだから。」
 
 それに対してカイルディンも返答する。
 
「そうだな、でもそんなに心配するなって。だって周りを見てみろ。みんな同じようにアイスコーヒーを飲んでいるじゃないか。」
 
 そう言われた氷堂が周りを見渡すと、確かに他の大勢の客も皆、こぞって同じようにアイスコーヒーを頼んでいた。その時、氷堂は改めて悟った。マレーシア人が糖尿病になるのも当然だと。実はマレーシアでは成人の5人に1人、50代以上の3人に1人が糖尿病を罹患していると言われており、その罹患率はアジアで最悪だ。この点で日本も糖尿病が多いとは言われているものの、その殆どは予備軍で、本当に薬の投与が必要なほど深刻な状態の人は1割にも満たないと言われている。一方のマレーシアでは重度の糖尿病患者が日本の数倍おり、それが極めて深刻な社会問題にもなっている。その大きな原因は他でもない、この荒れた食生活だ。
 
 聞く耳を持とうとしないカイルディンに対し、氷堂は諫める事を諦めた。そしてその後は皆でランチを楽しみ、午後の仕事に戻っていった。
 
 
 さて1週間後、既に年末の休暇に入っていたが、氷堂の携帯電話が鳴った。ディスプレイを見てみると、発信者はカイルディンとなっていた。嫌な予感がした。そう言えばこの前日はカイルディンが検査入院をする日だった。また休みの日にカイルディンが氷堂に電話を掛けてくる事などこれまで無かった。やはり検査の結果が芳しくなかったのだろうか。それで氷堂は恐る恐る着信ボタンを押した。しかしその後に氷堂が耳にしたのは、マレーシアが抱える糖尿病の恐るべき実態と、それを支える保健医療の深刻な問題だった。
 

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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