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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第42話 イスラム原理主義に傾倒する若者たち

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/nb467815fea50
 
 この話は2022年11月の出来事である。マレーシアの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、ポートクラン・ノースポート本局の中の食堂にいた。時間は昼12時を少し回ったところで、食堂には午前中の仕事を終えた労働者たちが続々と集まっていた。氷堂も10人程度の部下たちと一緒に食堂に入り、ビュッフェ式の食事をそれぞれが取っていった。
 
ちなみに部下たちと食事を共にする際には、いつも氷堂が全員分を支払っている。食事をご馳走する事が社員たちのモチベーションに繋がる事を良く理解している為だ。と言っても食堂の料理は安く、一人当たり300円程度で食べられる。この程度の金額で会社への愛着を高める事ができるのであれば、こんなに効果的な投資は無い。ただそれに加えて氷堂は、部下たちとの食事の時間をいつも楽しみにしていた。部下たちとの会話を通して、彼らの関心事を知る事ができるからだ。
 
 さて食事が始まると、会話は近づく総選挙の話題で持ち切りだった。マレーシアでは11月19日に第15回総選挙を控えており、国民の大きな関心事となっていた。マレーシアは世界屈指の投票率を誇る国としても知られており、毎回の投票率は80%前後に達する。その中でも特に若年層の投票率が高い事で知られており、若者の選挙離れが続く日本とは余りにも異なる状況だ。
 
 ただマレーシアの選挙は時に分断を産み出す要因にもなる。例えばマレーシアは多民族国家として知られており、マレー系が69%、中華系が23%、インド系が7%、そして1%の少数民族がいる。それぞれの人種は言語も宗教も習慣も全く異なり、政治的理念も大きく違う。そして当然ながら選挙では人口が多いマレー系が有利になり、これが分断の要因に繋がっていく。とはいえ選挙が終われば表向きは「ノーサイド」で、変わらない日常生活へと戻っていく。これもマレーシアの側面の一つと言えるだろう。
 
 
 この日氷堂は部下のアダムの隣に座った。アダムは2年前に入社した18歳のマレー系の若者で、敬虔なイスラム教徒だ。金曜日の昼には必ず港湾の敷地内のモスクへ礼拝に出掛けており、言うまでもなく酒などの禁忌とされている食物は一切取らない。氷堂はアダムに声を掛けてみた。
 
「アダム、お仕事お疲れ様。今週末は選挙で祝日だから、木曜は仕事が多くなると思う。大変だけど頑張ってね。」
 
 氷堂のねぎらいの言葉にアダムは元気よく答えた。
 
「リツさん、わざわざ声を掛けて下さりありがとうございます。先日私は18歳になったので、今回初めて選挙権を得られたんです。今から楽しみで仕方ありません。」
 
 そう言ったアダムの目は輝いていた。本当に選挙を楽しみにしているのだろう。ただ氷堂の会社には様々な人種や思想の人がいる。それで敢えて氷堂の方からは、相手の政治的信条については触れない事にしていた。ところがアダムの方から話し始めた。
 
「今回私はPASに投票をする予定です。私だけでなく、私と同世代の仲間たちも皆PASに投票すると言っています。きっとPASは躍進しますよ。私は心から応援しているんです。」
 
 そう言ったアダムの目は輝いていたが、一方で氷堂は耳を疑った。このPASとは「全マレーシア・イスラム党」の略で、クルアーンやスンナといったイスラム法源に基づくイスラム国家設立を党是としている、いわゆるイスラム原理主義政党だからだ。
 

 
 氷堂はまさかアダムの口からPASという名前が出てくるとは思わなかった。アダム自身は非常に爽やかな青年で、その言動からは人種差別的な要素は全く見られず、どの人種・宗教の人たちとも仲良く働いており、職場におけるムードメーカー的な存在だった。そのアダムがイスラム原理主義政党であるPASを支持しているというのも意外だったし、更に驚いたのは彼と同世代の友人の多くが同じくPASを支持していると述べた事だ。
 
 なぜ彼らの様な若者がイスラム原理主義に傾倒してしまうのだろう。氷堂はその理由を知りたいと思った。ただ大勢の人たちがいるこの食堂では、周りの目も気になって深い話はできないだろう。それで氷堂はアダムをディナーに誘う事にした。そこでなら彼の本心を聞けると思ったからだ。しかし氷堂がその後に耳にしたのは、想像を超えた余りにも深い理由だった。
 

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香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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