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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第8話 ロックダウンの現実

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n7556646111d0?magazine_key=m0838b2998048


 氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は自宅に帰る途中、車の助手席から見える美しい海を見ながら、遠い昔の日々を思い出していた。氷堂は香港で6年余りの時を過ごし、マレーシアに来てからも既に5年が経過していた。そして氷堂は自問した。「自分が成功したと思える日など果たして来るのだろうか?」。それが5年後なのか10年後なのかは分からない。でも残念ながら今の時点では、自分が思い描いていた未来とは全く異なる現実に向き合わなければならなかった。いや、少なくとも2020年初頭までは、氷堂がマレーシアで立ち上げたビジネスも期待通りに進んでいた。そう、もしコロナが無ければ。もしロックダウンが無ければ。


 2020年3月16日、この日の出来事を氷堂は今でも昨日の事の様に覚えている。当時、既に新型コロナウイルスの影響は世界中に及んでおり、マレーシアもその例外ではなかった。特に日本や韓国で生じたクラスターの事例は毎日の様にトップニュースになっており、日本人というだけで差別的な扱いを受けた事もあった。そして「今後世界はどうなるのか?」と誰もが心配していた時期だった。

 とはいえまだこの時点では、マレーシア経済は通常通りに稼働していた。街には買い物客が溢れ、多くのビジネスマンは朝いつも通りに家を出て仕事へと向かった。ただし「近くマレーシア政府がロックダウンを敢行するかもしれない」という不穏な噂が巷に流れていた。興味深いもので、マレーシアという国は大抵の噂がその通り成就していく。そしてこの時もその噂は確かに現実のものとなった。

 この日、氷堂はスバンジャヤという街にいた。スバンジャヤはクアラルンプール郊外にある衛星都市で、若者たちが多く集まる都市でもある。氷堂が普段買い物をするのは、職場である港湾があるクランの街だが、クランは低賃金労働者が多く集まる街でもあり、お洒落なスポットなどがある訳でもない。そのためクラン在住の若者の多くは、買い物やデートを楽しむ時などはスバンジャヤまで出かけていた。そして氷堂はこの日、スバンジャヤでクライアントとの打ち合わせがあったため、その後に友人のルドラと会って食事を楽しむ計画を立てていた。

 ルドラはインド系の20代の若者で、普段はレストランでウエイターの仕事をしている。ある日、氷堂がルドラの働くレストランで一人食事を食べていると、「こんにちは、アニキ!」という声が聞こえてきた。何事かと思って顔を上げると、ルドラがそこに立っていた。ルドラは日本のアニメが大好きな様で、独学で日本語を学んでいた。ルドラ自身は貧しい家の出身で、義務教育すらキチンと受けていなかったのだが、それでも彼の日本語のスキルは非常に高かった。彼は日本語の読み書きは全くできないのだが、聞き取る内容の8割以上を理解し、しかも適切に返答する事ができた。これだけの日本語のスキルをアニメだけで身に着けたと言うのだから驚きだ。そしてルドラは氷堂が食事をする姿を見て、すぐに日本人だと分かり、声を掛けてきたのだった。

 その日以降、氷堂とルドラは非常に仲良くなり、二人の休みが重なった日には、氷堂が車でスバンジャヤの街へ向かい、食事を共にするのが常になった。そして氷堂はルドラに日本語を教え、ルドラは氷堂にマレー語を教えた。そして3月16日も二人は夕食を終えた後、ショッピングモールで時間を潰していた。

 その時、明らかにモールの中にあるスーパーマーケットの様子がおかしかった。普段はそれほど混んでいない店に数百人の人が押し寄せて大混雑になると共に、商品が殆ど空になっていたのだ。確かに氷堂はその日の朝、ローカルの社員から「近くロックダウンが行われるかもしれない」という話を聞いていた。しかしその一方で、そんなに急に発動されるはずがないと高を括っていた。ただ残念ながらその懸念は、氷堂の予想よりも遥かに早い時期に訪れる事になった。

 その日の夜、首相が緊急記者会見をする事になり、ロックダウンの実施が発表された。首相はマレー語で発表文を読んだが、それを全てルドラは日本語に訳してくれた。しかし氷堂は内容を正確に知りたかったので、途中からルドラに日本語ではなく英語に訳してくれと頼んだ。ルドラも氷堂も英語は堪能なため、その方が重要な情報をキチンと知る事ができるからだ。そして二人が驚いたのがロックダウンの開始日だった。なんと翌々日の3月18日から開始すると発表したのだ。確かにロックダウンの噂自体は既に流れていた為、ローカルも外国人もある程度覚悟はできていたのだが、ここまで迅速にそれが施行されるとは殆どの人は思っていなかった。そしてそれは氷堂やルドラも例外ではなく、二人は会見が終わるとすぐに慌てて帰宅する事になった。

 そして運命の3月18日、遂にロックダウンがスタートした。そしてその厳しさは多くの国民の予想を上回るレベルのものだった。まず生活必需品以外の店舗は全てクローズする事になった。開いているのはスーパーマーケットや薬局、ガソリンスタンドといったごく一部の生活必需品に関連する店舗のみで、街はゴーストタウンの様になった。同じくエッセンシャルワーカーに指定された業種以外の全ての会社に対して休業命令が出され、出社は禁止となった。更に自宅の近所しか外出が認められなくなり、主要道路は完全に封鎖された。

 特に厳しかったのが違反者への取り締まりだった。政府は警察の権限を強化し、ロックダウンの条例に違反する者たちへの逮捕に精を出した。そしてその条例は日に日に厳しいものとなっていった。例えばマスクを着用していないだけでRM1,000(約25,000円)の罰金が取られ、故意に条例に違反した個人に対しては、RM10,000(約25万円)の罰金が科された。更に休業命令中に店舗や会社を開けた事業者に対しては、RM100,000(約250万円)もの過料が科される事になった。

 そして政府は条例の強化を図るため、取り締まりの権限を警察に加え、軍隊にも付与した。とりわけ感染拡大がひどい地域に対しては、その建物や地域一帯を鉄条網によってバリゲードを張り、住民の動きを完全に封鎖した。

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 この様に軍隊が道路を塞ぐと、そこを強行突破しようとする者はもはや現れなくなった。確かにマシンガンを構えた本物の軍隊を前にすれば、人は否が応でも大人しくなる。この様にして、ほんの数週間前まで明るく平穏だった町並みは、一夜にして戒厳令が敷かれた街へと変貌する事になった。ただし、これは苦しみの序章に過ぎなかった。そのロックダウンは当初2週間の予定であったが、1か月、また1か月と延長されていったからだ。そしてそれはマレーシア経済に計り知れないほどのダメージを与えるものとなり、それにより多くの国民が貧困と飢えに苦しむ事になった。それがどれほど甚大な影響であったかについて、これから説明していきたいと思う。

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香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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