見出し画像

Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第11話 救援と防疫の狭間で

前回の話はこちらから

https://note.com/malaysiachansan/n/ne1d1c17f8167?magazine_key=m0838b2998048

第11話 無数のコンテナの日常

 朝8時、無数のコンテナの間を潜り抜け、氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は自社が管轄するコンテナ置き場のエリアに辿り着いた。今日は珍しく、氷堂の会社のCOOであるカイルディンが出勤している。カイルディンは50代のマレー系だが、このポートクランで30年以上勤務しており、港湾の表と裏を熟知した人物だ。また港湾当局との繋がりも深く、現在の当局の幹部は全員知り合いだ。今から5年前、氷堂は香港からやってきて、このポートクランにコンテナリースの子会社を設立する事になった。氷堂自身、ポートクランには出張で何度も来たことがあったが、港湾の仕事というものは当局との強力なコネクションが無いと円滑に進める事はできない。その際にマレーシアの大手物流会社からヘッドハンティングしてきたのが、このカイルディンだった。それ以来、カイルディンは氷堂の会社のCOOとしてあらゆる業務を取り仕切ると共に、氷堂の会社と当局を繋げる橋渡し役も行っている。

 カイルディンが氷堂に声を掛けてきた。

「リツ、おはよう。昨日はよく眠れたか。俺はいつも朝5時に起きているから問題ないが、今日は大事な日だぞ。2か月に一度の港湾当局との意見交換会だ。朝10時から当局の会議室でスタートだ。宜しくな。」

 そう言うとカイルディンは現場を後にしていった。カイルディンの言う通り、今日は港湾当局との会議の日だ。ポートクランにはノースポートとウエストポートという2つの大きな港湾があるが、氷堂の会社が属しているのはノースポートの方だ。このノースポートの管理会社はポートクランだけでなく、ジョホールバル港やペナン港の管理も行っている。彼らは2か月に一度、港湾事業者の代表者を呼んで意見交換会を開いている。この意見交換会には、大手の船社やフォワダー、通関業者、更には国内の物流会社などが呼ばれているのだが、氷堂の会社は規模が小さいにもかかわらず、定期的にこの意見交換会に招待されていた。その理由は他でもない、カイルディンがいたからだ。カイルディンはポートクランの港湾業務に関して長い経験と深い知見を有している。そのため毎回そこに呼ばれているのだ。

 朝10時、港湾当局の会議室に到着すると、そこには既に20人ほどの人が集まっていた。今回の会議では、港湾で滞留する貨物の現状とその延滞料について話し合われる予定だ。5分程すると、当局の副長官であるイスマイルが部屋に入ってきた。しかしイスマイルは部屋に入るとすぐに出席者に向けて言った。

「皆さん、せっかく集まって頂いて申し訳ないのだが、今日の会議は急遽中断する必要が生じました。タイのプーケット沖でバングラデシュのチッタゴンに向かう船が座礁し、現在救助活動が行われています。その対応に当たる必要があるので、どうかご理解ください。」

 イスマイルの言葉を聞いて、会議に出席していた参加者たちはざわついた。日本では考えられないかもしれないが、マラッカ海峡では小さな遭難事故は実は毎週の様に起きている。そのため副長官自らが対応に当たらなければならない様な深刻なケースは極めて稀だ。出席者たちも「何となく様子がおかしい」と感じながら、皆仕方なく帰路に着いた。氷堂とカイルディンも会議室を出ようとしたが、その時、イスマイルは二人を呼び止めた。

「カイルディン、リツさん、申し訳ないが少し残ってもらっていいかな。あなた方の知恵が必要だ。」

 その言葉を聞いた氷堂は、カイルディンと共に会議室に残った。イスマイルとカイルディンは旧知の仲で、30年以上の付き合いがある。イスマイルは当局の中で順調に出世し、カイルディンは民間企業でそのキャリアを積んできた。立場こそ違うが、共にポートクランの発展に貢献し、それを見守ってきたという点では共通の認識を持っている。そして他の出席者全員が部屋を出た後、イスマイルは話を続けた。

「カイルディン、会議を中止させた上に残って頂いて申し訳ない。実は大変なことが起きている。さっきの船の話だが、詳しく説明するから聞いてくれ。遭難した船はTAN BINH 127号というベトナムを出港した船なんだが、シンガポールを経由して、チッタゴンに向かっていた。その途中、プーケットの沖合で躯体のトラブルがあって浸水が始まった。絶体絶命と思われた所に、ちょうどコンテナ船が通りかかって18人の船員は全員無事救助された。これが昨晩の出来事だ。」

第11話 ベトナム船

 それを聞いてカイルディンは返した。

「なんだ、全員救助されたのか。それは良かったじゃないか。それなら何の問題もないだろ。それにイスマイル、あんたが扱うほど大きな事件でもないと思うんだが。」

 それを聞いたイスマイルは深刻な顔をして答えた。

「ああ、その通りだ。だがそれだけで問題は終わってはいない。実は救助された人たちの中にコロナに感染した疑いのある人がいて、集団クラスターが発生した可能性がある。そしてその船はまもなくポートクランに到着しようとしている」

 「集団クラスター」。氷堂自身もこの1年間で何百回も耳にした言葉だ。しかし今回ばかりは訳が違う。閉鎖された船という空間の中でクラスターが発生したのであれば、事態は極めて深刻だ。船内には薬も無ければ医者もいない。一刻も早く救助しなければ、船員全員の命が失われかねない。そう考えていると、イスマイルは言葉を絞り出す様に続けた。

「カイルディン、リツ、我々は彼らの船のポートクランへの入港を断る予定だ。残念だが、我々は彼らの救助活動は行わない。」

 その言葉を聞いた氷堂とカイルディンは顔を見合わせた。救助した船員が乗る船の入港を断る事など有り得るのだろうか。そしてカイルディンはイスマイルに反論した。

「何故だ。今受け入れを断れば、船員もコロナで死んでしまうかもしれない。海では誰一人死んではいけない。それは海に携わる人間なら誰もが知っているはずだ。」

 それを聞いてイスマイルは答えた。

「勿論それが理想なのは良く分かっている。しかしそうもいかないんだよ。少なくとも港湾の我々が彼らを助けたくても、それを許さない連中がいる。ちょっと来てくれるか。」

 そう言うとイスマイルは席を立ち、会議室から出て行った。そしてその後をカイルディンと氷堂は付いていった。

ここから先は

5,483字 / 7画像
マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?