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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第6話 寿町での葛藤

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n7dfc6dc555e9?magazine_key=m0838b2998048

第5話 ドヤ街

 横浜の港湾の会社に就職した氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、早朝から夜まで肉体労働を行ない、手取りはわずか月15万円程度という生活をもう何年も続けていた。そして流れ着いたのが、横浜の寿町だった。そこは日雇い労働者が集まる街、通称ドヤ街で、想像を絶する劣悪な環境だった。

 氷堂の隣室は50代の男性だったが、肩から腕にかけて大きな入れ墨が彫られていた。それは今の若者たちの間で流行っているタトゥーなどとは明らかに異なり、一目でその筋の人間だと分かる代物だった。彼は日頃は大人しかったが、時折夜中に奇声を発する事があった。ドヤ街の壁は非常に薄いので、その奇声が発せられるたびに氷堂は目を覚ましていたが、それはどうやら覚せい剤による幻覚から来るものだったらしい。そしてその隣人だけに限らず、氷堂の泊まっていた簡易宿所は、隣人と同様に道を踏み外した者たちの巣窟となっていた。彼らは夕方には違法賭博場に集まり、勝てば風俗へ行き、負ければ最も安い焼酎を浴びるほど飲み、更に負けが続けば闇金からお金を借りるという生活を繰り返していた。確かにそこは「社会の最底辺」だった。

 そこでの生活が数か月過ぎた頃だった。既に20代半ばを過ぎていた氷堂であったが、入社して初めて異動の辞令が出た。これまで氷堂は港湾の最前線で荷役作業を行っていたのだが、この辞令により、保税区の外側にある物流倉庫で働く事になった。

第6話 山下ふ頭

 氷堂の勤めていた会社は港湾荷役の仕事に加え、自社で物流倉庫を運営していた。その倉庫で氷堂には、コンテナの中身を検品する仕事が割り当てられる事となった。

 氷堂にとって物流倉庫での仕事は非常に楽だった。なぜなら物流倉庫の仕事は港湾荷役の現場に比べて、体力的に遥かに楽だったからだ。港湾荷役の仕事は、早朝から夕方までの長時間を屋外で過ごす事になる。言うまでもなく夏は非常に暑いのだが、それでも長袖長ズボンの作業着を身にまとい、ヘルメットも着用する必要がある。また冬は雪がちらつく極寒の中でも、凍てつく海風に当たりながら作業を行わなければならない。一方で物流倉庫の仕事は屋内であり、労働時間も港湾荷役の現場に比べて短かった。更にそこは倉庫の規定で土日祝日は定休日であった。そのため氷堂は、それ以前よりも自由な時間を作る事が出来るようになった。とはいえ労働時間が短くなったため、給料は以前に比べて更に低くなってしまったのだが。

 さて氷堂は物流倉庫で働き始めてすぐに、人生を変える出来事を経験した。この物流倉庫での氷堂の仕事というのは、主に海外から届いたコンテナを開封し、その商品と手元にあるパッキングリストが整合しているかを確認していくものなのだが、最初氷堂はパッキングリストが全く読めなかった。なぜならそれが英語で書かれていたからだ。はっきり言って貨物のパッキングリストなど難しい英語が使われている訳でもないのだが、それでも中学高校で英語の勉強を全くして来なかった氷堂にとっては、そこに書かれている英語がもはや呪文の様に思えてしまったのだ。そのため商品とリストを整合する仕事は全く捗らず、上司から怒られる日々が続くようになった。

 この時だった。氷堂が自分のこれまで歩んできたキャリアを生まれて初めて振り返ったのは。氷堂はもう何年も港湾の最前線で働き、毎日外国から届くコンテナを目にしていた。しかしそれが「どこの国から来た貨物なのか」、「どの国の商材が乗せられているのか」、こういった事を気に留めた事など殆どなかった。また寄港する船には世界中を移動している外国人の船員たちが乗船しているのだが、「彼らがどこの国籍の人なのか」、「どれくらいの期間、彼らは船に乗っているのか」、これらの事も同様に考えた事が一度も無かった。そして氷堂はようやく悟った。自分は港湾という世界と繋がる最前線にいるにもかかわらず、その貴重な機会をずっと逸してきたという事を。そして何よりも、その事をとても恥ずかしく感じた。

 そしてその日、氷堂は寿町のドヤ街へと帰宅する途中、横浜の海に明るく映る月を見ながら、一つの事を心に決めた。それは世界と繋がるために「英語を学ぶ」という事だった。

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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