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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第25話 国境沿いの街での不協和音

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n02620ebbfb09?magazine_key=m0838b2998048
 
 この話は2021年4月まで遡る。当時マレーシアではコロナの第3派が押し寄せており、もうその勢いを止められなくなっていた。氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)はポートクランの港湾でコンテナリースの会社を経営しているのだが、コロナが始まる前までは世界中の港に出張を繰り返し、新たな取引先を開拓していた。しかしコロナで海外渡航が難しくなったため、それが難渋していた。幸いな事に既存の取引先からは厚い信頼を受けており、それらは問題なく継続していたのだが、ある日、氷堂の脳裏に良いアイディアが浮かんだ。
 
 氷堂は考えた。「確かに今は海外渡航するのは難しい。しかしマレーシアには陸路で国境を接している国が幾つかある。それらの国ならば、飛行機に乗らずとも営業が可能なのではないか」。そう考えた氷堂は、机にマレーシアの地図を広げた。マレーシアは北にタイ、東にフィリピン、南にシンガポールとインドネシアと国境を接しているが、その中でも陸路で繋がっているのはタイとインドネシアだ。早速氷堂はマレーシアとタイ及びインドネシアの貿易統計を調べた。すると近年マレーシアとタイの貿易額は右肩上がりになっており、それを行政も後押ししているという事実を知った。とはいえ氷堂の会社は、これまでタイの会社と取引をしたことが無かった。何かきっかけを見つけたいと考えた氷堂は、この件をポートクラン・ノースポートの副長官であるイスマイル氏(仮名)に相談してみる事にした。
 
 ポートクランのノースポートを運営するMMC社は、マレーシア各地にある港湾の運営も行っており、タイを含めた東南アジアの港湾業界に対しても強いコネクションを有している。その中でもイスマイル氏はポートクランに30年以上勤務する大御所だが、彼は大の日本好きであったため、事あるごとに氷堂を食事に誘い、家族ぐるみの付き合いもしていた。今回の件に関しても、「イスマイルなら必ず力になってくれるに違いない」と氷堂は確信していた。それで氷堂はノースポートの港湾本部へと車を走らせた。

 港湾本部の執務室に入った氷堂は、イスマイル氏から熱い歓迎を受けた。
 
「いやぁ。リツさん。ようこそいらっしゃいました。心から歓迎します。日本のコロナの様子はいかがですか?」
 
 氷堂はイスマイルに対して返答した。
 
「そうですね。かなり厳しい状況だと聞いています。まだワクチンも行き渡っていない様ですし、コロナの病棟も満床の様です。とはいえ基礎医療レベルも高いので、マレーシアよりはまだマシな状況かと思います。一つ心配なのはオリンピックです。あと3カ月もすれば東京オリンピックがある訳ですが、『この状況で開催できるのか』と疑問の声が上がっている様です。私個人としては、ここまで頑張ってきたアスリートのためにも、何とか開催してくれると良いと思っているのですが。」
 
 それに対し、イスマイルも話す。
 
「確かにそうですね。マレーシアからはバトミントンの選手が何人か出ますが、彼らにはメダルの期待がかかっています。彼らは国民の希望を背負っている訳ですから、頑張って欲しいものですね。ところでリツさん、今日のご依頼は、確かタイとのクロスボーダー取引を考えているとの事でしたね。」
 
 イスマイルは今日も上機嫌の様だ。その様子を見て安心した氷堂は、早速本題に入った。
 
「はい。ご承知の通り、現在は多くの国が国境を閉じており、新たな取引先を開拓する為に海外へ出かけて行くのが難しい状況です。私たちのビジネスは1つの取引が数十万米ドルの規模になりますから、見ず知らずの外国人とオンラインで進めるのには限界があるんです。一方で調べたところによれば、タイは定常的にコンテナが不足しているとの事でした。確かにタイのレムチャバン港はハブ港としての地位が低く、ポートクランやシンガポール、更には香港・台湾と比較してもコンテナの取扱数が少なくなっています。一方でタイとマレーシアは陸路で繋がっていますから、コンテナを陸路で輸送する事もできますし、交渉も容易だと思います。ただこれまで弊社は、タイとの陸路の国境沿いにある企業は取引が無いんです。それで是非イスマイルさんに力を貸してい頂きたいと思い、今日はやってきました。」
 
 イスマイルは氷堂の話を黙って聞いていた。そしてようやく口を開いた。
 
「リツさん。ご希望は良く分かりました。ただですね…結構厄介なんですよ。タイとマレーシアとのクロスボーダー取引は。まぁマレーシア側はそんなに問題ないんですけどね。タイ側がねぇ…」
 
 そこまで話すと、イスマイルは黙り込んでしまった。その様子を見て、氷堂は更に突っ込んで尋ねてみた。
 
「タイ側に何か問題があるのでしょうか….」
 
 その質問に対し、氷堂の目を見てイスマイルは答えた。
 
「実はですね、タイの深南部というのは、治安が非常に悪いのです。まぁ旅行で行く程度なら問題ないんですけどね。ビジネスをするとなると、一筋縄にはいきません。ご承知の通り、タイは仏教国ですが、深南部だけは違っていて、あの辺りは殆どの人がイスラム教徒です。」

「元を辿るとあの辺りはマレーシアと同じくイギリスの統治下にあったんですが、イギリスが国境線を引いた際に、タイ側に入ってしまったんですよ。それから今に至るまで、タイ政府とイスラム教徒の間でいざこざが絶えず、これまでに何度もテロが起きています。そういう人たちを相手にビジネスをするのは、簡単ではないんですよ。例えばですね、賄賂を要求されるとも思いますし、それを断れば危険な目に遭うと思いますよ。」
 
 イスマイルの言葉を聞いて、氷堂は思い出した。確かにタイの深南部は、日本の外務省からも渡航中止勧告が出ているほどの地域だった。しかし氷堂自身は過去にもかなり危険な橋を渡ってきたため、この程度の事で怖気付いてはいなかった。それで氷堂は更にイスマイルに語った。
 
「イスマイルさん。事情は良く分かりました。ただそれでも私はやる気でいます。」
 
 イスマイルは答える。
 
「そうですか…まぁリツさんなら、そう答えるとは予想していたのですが。分かりました。ではタイとの国境近辺にある、マレーシア側の地元の有力者と引き合わせる機会を作りましょう。彼がリツさんのビジネスを助けてくれるでしょう。」
 
 そう言うとイスマイルは電話を取り、その有力者と話を始めた。電話はマレー語だったので、氷堂には余り理解できなかったが、それでも氷堂を紹介しているという事だけは聞き取れた。そして電話を切ったイスマイルは氷堂に告げた。
 
「来週の月曜日、国境の街であるパダン・ブサールに向かってください。地元の有力者がリツさんを迎えてくれるでしょう。」
 
 しかしまだこの時には、この国境を越えた取引が氷堂の命を危険に晒す事態に繋がるとは予想もしていなかった。

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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