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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第65話 交通事故が頻発する危険な国

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n4920e0329515
 
 この話は2022年まで遡る。マレーシアの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日、早めに仕事を終えてオフィスのあるポートクランから自宅へ向けて車を走らせていた。氷堂の自宅があるのはジェラムという片田舎の街で、ポートクランからは約35kmの距離があり、車で40分ほどかかる。道路は良く整備されており、信号もほとんどなく、快適なドライブを楽しんでいた。
 

 
 さて時はちょうどラマダン、つまり断食の時期だった。イスラム教徒はラマダンの時期になると、日の出から日の入りまで食事を控える。ただ信仰の度合いは人それぞれで、人前では食べないものの、人目に付かないところでは隠れて食べる人がいたり、食事は控えるが水だけは飲む、という人がいたりもいる。また体調不良の際には、別の時期に断食を行うことも認められている。逆に水すら一滴も飲まないという人も少なくない。ちなみにマレーシアのムスリムは信心深い人が多いため、厳格な断食を遂行する人がほとんどだ。
 
 ただ当然ながら、空腹になれば集中力も落ちる。国の取り決めで、この時期は普段よりも1時間早く、夕方5時頃には殆どの人が仕事を終えるのだが、空腹と喉の渇きで家路を急ぐ人が多いため、交通事故が起きやすくなる。実際に統計を見てみると、ラマダンの時期に起きる交通事故の件数は、他の月よりも明らかに多く、普段よりも危険な交通状況が見て取れる。
 
 さて氷堂の車は、信号のない見通しの良い交差点で右折待ちをしていた。その時だった。後方で大きなブレーキ音がした。そして程なくして、背中にわずかな衝撃を感じた。そして50cmほどだろうか、車が前のめりになった。間違いない、玉突き事故に巻き込まれたようだ。
 
 慌てて車を降りると、すぐ後ろにはMyviというマレーシアの国産車の小型車が止まっていた。フロントのライトが割れ、バンパーは大きくへこんでおり、衝撃の大きさを物語っていた。一方で氷堂の愛車は10年落ちのトヨタ・ハイラックスなのだが、後ろから突っ込まれたはずなのに、車体のへこみはごく僅かでかすり傷程度だった。ハイラックスの車重は2トンを超えており、やはり重さは安全面では正義のようだ。
 
 すると車から一人の女性が降りてきた。小柄で年齢は若く、恐らく20代半ばと思われる。 ヒジャブをまとっているので、間違いなくイスラム教徒の女性だろう。彼女はひどく動揺している様子で、頭を下げながら「ミンタマアフ」と言ってきた。マレー語で「申し訳ありません」という意味だ。ただ氷堂が外国人だと分かると、彼女はすぐに英語に切り替えて言った。
 
「本当に申し訳ありません。少しぼっとしていて、車が前に停車しているのを見落としていました。ブレーキを踏んだんですが、間に合わなくて…」
 
 そう言うと彼女は再び頭を下げた。一方で氷堂の車の傷はそんなに深刻でもないし、身体も特に問題なさそうだ。それで氷堂も言った。
 
「私は大丈夫なんですが、あなたの方は大丈夫ですか?結構車のダメージは大きいようですが」。
 
 氷堂が尋ねると、彼女はなぜか急に無口になってしまった。そして5秒ほど沈黙があっただろうか、なぜか目に涙を浮かべていた。氷堂が待っていると、ようやく口を開いて言った。
 
「本当に申し訳ありませんでした。身体は大丈夫だと思うのですが…お願いです、警察には言わないでいただけませんか。色々と事情がありまして…」
 
 氷堂は嫌な予感がした。そしてその予感は的中することになる。後に氷堂が知ることになったのは、マレーシアが交通事故大国になってしまった背景と、汚職や腐敗にまみれた、余りにも軽い人の命の価値だった。
  

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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