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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第23話 都市開発計画の幻想

前回の話はこちらから

https://note.com/malaysiachansan/n/need59bd730a1?magazine_key=m0838b2998048

 2021年10月某日、氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)はジョホールバルへと向かっていた。ジョホールバルはマレーシアの最南端にある街である。ここはマレー半島の最南端でもあり、巨大なユーラシア大陸の最南端とも言い換える事ができる。氷堂の会社はクアラルンプール近郊の巨大港であるポートクランに位置しているが、そこからジョホールバルまでは約350kmの道のりがある。とはいえクアラルンプールからジョホールバルまでは高速道路が通っており、3時間強で到着が可能だ。

第23話 ジョホールバルへの高速

 日本人の殆どはジョホールバルがどういう街なのか、その詳細を知らない。恐らくこの街の名前が最も有名になったのは、1997年11月16日だろう。この日、サッカーの日本代表がイラン代表とのアジア最終予選を戦い、激闘を制してフランスワールドカップ行きの出場権を手に入れた。延長後半13分に途中出場したFWの岡野雅行が決めた劇的な決勝点は、多くの日本人の脳裏に焼き付いている事だろう。この試合が行われたのがジョホールバルであり、それ以降、この出来事は「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれ、日本サッカー界における重要なマイルストーンとして多くの人の記憶に留められている。

 そのジョホールバルだが、街の歴史は非常に長く、16世紀初めにまで遡る。当時マラッカ王国はタイ・マレーシア・インドネシアを含む東南アジア一帯を支配しており、世界で最も裕福な国の一つとして知られていた。そのマラッカ王国最後の王であるスルターン・ムハンマド・クトゥブ・シャーによって建国されたのが、このジョホールバルだ。マラッカ王国が滅びた後、ジョホールバルは世界屈指の海運の要衝に位置していた事もあり、近隣の国々から攻められて多くの戦火に見舞われた。しかし1965年に対岸のシンガポールがマレーシアから独立して以降は、大きな騒乱もなく、マレーシアの南の玄関口として重要な役割を果たしてきた。

 さてこの日、氷堂はコンテナリースの金融商品の顧客である宋(Mr. Sou)とアポイントがあった。コンテナリースの金融商品は富裕層の節税対策として知られており、宋は氷堂の親会社の金融商品を日本円にして2億円程度購入していた。宋はこのジョホールバルで不動産会社を経営しており、主に新築のコンドミニアムを中国人に対して販売していた。ちなみにマレーシアでは多くの中華系住民が、本名とは別に英語名の通称も持っているのだが、彼は通称を用いず常に本名でビジネスを行っていた。この事からも、彼のルーツである中国に対する強いこだわりを垣間見る事ができた。

 その宋は8年で満期になるコンテナリースの金融商品を、中途解約したいと言ってきていた。本来契約の締結や解約は香港にある親会社の仕事なのだが、氷堂は彼らから依頼を受けて対応する事になった。今はコロナ禍で国境を跨ぐのも容易ではないからだ。氷堂は待ち合わせ場所のカフェに着くと、すぐに大きな呼び声が聞こえた。

「リツさん、ご無沙汰しています。こちらです。」

 声の方向に目を向けると、店の一番端のソファ席に宋が座っていた。宋は60代半ばの中肉中背の男性で、白いシャツと黒のスラックスを履いていた。見た目は貧相にも見えるが、これでも年商20億円超を誇る中堅不動産会社の社長だ。ちなみに氷堂が宋と会うのはまだ2回目で、前回に会ったのは5年前に宋が金融商品の契約を締結した時だ。氷堂は宋と軽く握手を交わすと、席に着きコーヒーを注文した。そして宋は話し始めた。

「リツさん、ご無沙汰しています。この度はわざわざジョホールバルまで足を運んで下さり、ありがとうございます。少し観光はなされましたか?」

 それに対して氷堂も返す。

「いえ、まだ着いたばかりなのでどこも見ていないんです。ただ明日は港の方にも足を運ぶ予定が入っていますので、それを終えた後、少しブラブラと街を散策できればと考えています。ところで宋さん、親会社の方からリースの金融商品を解約されたいと伺いました。既にお聞き及びかと思いますが、オペレーティングリースは8年の契約になっていますので、途中解約をすると違約金が発生してしまいます。それでも問題ないのでしょうか?」

 宋は氷堂の話を聞いて少し顔をしかめたが、再び顔を上げて事情を説明し始めた。

「そうですね。違約金の事は良く承知しています。ただ手元にまとまったお金が必要になったので、今回は御社の金融商品を解約する事にしました。もう5年前とは、この街の状況も大きく変わってしまいました。仕方がない事です。イスカンダル計画はもう無理でしょう。」

 イスカンダル計画とは2006年からスタートした国家プロジェクトの事で、ジョホール州に巨大な人工都市を作ろうという計画だ。その総工費は約15兆円と言われており、2025年までに200万人もの移住者を募る予定だった。しかし様々な国際情勢の変化により、プロジェクトは停滞を続けている。

第23話 イスカンダル計画

 宋は氷堂の顔を見つめて話を続けた。

「恐らくリツさんもイスカンダル計画が停滞している事は、ニュースを通してご存じかと思います。でもですね、何故停滞しているのか、その本当の実態が報道される事は殆どありません。実はですね…水面下では今もマレーシア政府と中国政府の熾烈な駆け引きがあるんです。リツさん…それについて知りたいと思いませんか?」

 氷堂はここでまさか「中国政府」という言葉が出てくるとは思わなかった。確かにこのプロジェクトに中国が深く関わってきた事は周知の事実だが、その本当の実態までは一般人には分からない。

それで氷堂が「是非教えて下さい」と答えると、宋も言った。

「では見に行きましょう。後についてきてください」

 そう言うと宋は席を立ち、自分の車へと向かった。そして氷堂も慌てて宋の後を追った。ただ氷堂もこの時点では、中国政府の驚愕の国家戦略の実態について知る事になるとは、全く想像していなかった。

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香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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