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【初回無料公開】Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第1話 ポートクラン(Port Klang)への道のり

(こちらは有料の定期購読マガジンですが、初回のみ無料で公開しています。是非お楽しみ頂ければ幸いです。またこの物語にはフィクションが含まれますが、書かれている内容は筆者の体験に基づいています)

午前7時20分、氷堂 律(ひょうどう りつ)、通称ちゃん社長は玄関から表に出た。マレーシアの日の出は日本に比べて遅く、朝7時30分頃にならないと外は明るくならない。この太陽が昇る前の時間に近くを散歩しながら朝食を取るのが氷堂の日課だ。

氷堂が住む町はジェラム(Jeram)という町で、首都クアラルンプール(Kuala Lumpur)から車で約1時間15分ほどの場所にある。この街は海沿いの街で、周囲に大きな商店などは何もない。大都市クアラルンプールとは対照的に、本当に静かな田舎町だ。このような田舎町をマレーシア人はカンポン(Kampong)と呼ぶ。カンポンとはマレー語で「田舎」や「集落」を意味し、基本的にはローカルしか住んでおらず、氷堂の様な外国人が住むことはまずない。

ジェラムはローカルの間では漁港の街として知られている。魚やエビ、イカや貝類などが豊富な漁場で、ここで採られた魚介類はクアラルンプール市内へと運ばれていく。そしてジェラムの海岸沿いには沢山のレストランが並んでいて、軽食を気軽に取れる様になっている。氷堂は馴染みのいつものマレー料理店に入ると、魚のカレーをオーダーした。そして店の外に広がる海を見つめた。そこには美しい遠浅の海が広がっていた。

ジェラム

青く光る海を見ながら、氷堂はマレーシアに来た頃の事を思い返した。氷堂がマレーシアに降り立ったのは2016年だった。その数年前に香港でコンテナリース会社の新規立ち上げを行ない、それを軌道に乗せた氷堂は、新たな使命を負ってこのマレーシアの地へとやってきた。世の中の99%の人はコンテナリース会社の実態を知らない。それもそのはずだ。コロナ禍でコンテナ不足が話題になるまでは、コンテナの商流が注目される事など殆ど無かったのだから。

コンテナリースの世界では、大手10社で世界の90%以上のシェアが占められている。いわゆる完全な寡占市場だ。そして氷堂が7年前まで働いていたのは、香港を本社とするフェータイル社(仮名)で、業界でも屈指の老舗だ。扱っているコンテナの数は300万TEU(20フィートで換算したコンテナ個数を表す単位)を超えており、世界のコンテナリース市場の約2割を占めている。

しかし一方でその実態は謎に包まれている。なぜならフェータイル社は他の大手コンテナリース会社であるTRITON International社やCAI International社とは異なり、株式を上場していないので、その全容が明らかになっていないのだ。それに加えてフェータイル社は香港を拠点として、中国、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地に支社を持っているが、その全世界の従業員を合わせても僅か200人程度しかいない。その為、内部の情報を知る人物は非常に少なく、情報が外に漏れないのだ。

そしてそのフェータイル社は親会社が中国大手の海運会社であり、経営基盤は非常に安定している。またその親会社は実質的には国営企業でもある事から、フェータイル社自身も形式上は民間企業ではあるものの、国営企業としての役割も担っている。その為、情報が更に外部には漏れにくくなっているのだ。

少しの間、以前の事を思い返していると、料理が運ばれてきた。魚のカレーだ。氷堂はこの魚のカレーが大の好物だ。

魚カレー

氷堂がジェラムに住みたいと思ったのも、元々はこの土地の新鮮な魚介類に魅了されたからだった。マレーシアは常夏の国で、最高気温は通年30度以上を記録する。その為、冷蔵の物流が必須な訳だが、実はマレーシアは冷蔵の物流網が非常に弱いのだ。ジェラム近海で採れた魚介類は、本来は冷蔵で運ぶとその鮮度を保つ事ができるが、それが難しいため、多くの場合一度冷凍されてから流通される。その結果、クアラルンプール市内のスーパーで魚を買う際には、冷凍になっているか、もしくは冷凍を解凍したものばかりで、冷蔵で港から運ばれた魚を買うのは困難なのだ。しかしこの港町ジェラムでは、昨日採れた新鮮な鮮魚を楽しむことができる。そして何より安い。今日の朝食はなんとRM5(130円)だ。

2016年にマレーシアに来た氷堂は、当初クアラルンプール市内のコンドミニアムに滞在していた。一方で氷堂の職場であるポートクランの港までは、クアラルンプールから車で約1時間かかり、毎日その時間を通勤に費やしていた。ただクアラルンプール市内の生活は極めて便利だった。徒歩圏に高級スーパーマーケットもあり、日本の食材も普通に購入する事ができた。コンドミニアムにはプールも完備されており、セキュリティも24時間常駐だった。また近くには沢山の飲食店があり、日本料理店も数多くあったため、大勢の日本人駐在員が住んでいた。

しかしそこでの生活が2か月を超えた頃、氷堂はどうしようもなく息苦しくなってきた。便利な反面、日本人との接触が多く、それもストレスに感じていた。また当然の事だが、クアラルンプールからは海が見えなかった。氷堂はずっと海沿いで生活してきた。生まれた町も、その後港湾作業員として働いた横浜も、そして香港でも、ずっと海を見ながら生活してきた。確かに仕事では毎日海を見てはいたものの、プライベートの時間も海を見ながら過ごしたいと思っていた。それで氷堂は休みを使って、海沿いの物件を探し始めた。

しかしポートクラン界隈に適当な物件を見つける事は困難だった。なぜならポートクランは住宅街ではなく、倉庫街だからだ。日本とは異なり、マレーシアでは地域ごとに建設物の用途区分が行政によって明確に分けられている。例えば倉庫街には倉庫しかない。商店街には商店しかない。そして住宅街には住宅しかないのだ。日本の様に商店街の中に家が点在している様な事は殆ど無く、区画がはっきりと分かれている為、海沿いの倉庫街に物件を見つける事ができなかったのだ。

その中で偶然にも発見したのがこのジェラムの街だった。最初は日帰り旅行で来ただけだったが、その雰囲気に魅了され、氷堂はここに住みたいと願うようになった。しかしカンポンにはローカルの人しか住んでおらず、不動産屋も機能していない為、そこで物件を探すのは非常に難しく思えた。だが氷堂は諦めず、毎週末この地域に通い詰め、まずは飲食店で地元の住民と仲良くなる事を試みた。そして1か月ほどで関係ができると、彼らに「このジェラムの街で物件を探している」という事を伝えてみた。そうしたところ、ちょうど築年数も浅く空き家になっている物件がある事が分かり、そこを紹介してくれた。70㎡程度の大きくない平屋で、広さもちょうどよく、一目で氷堂はそこが気に入った。そしてそこに住むようになった。これがもう5年も前の話である。

食事を終えると氷堂は車に乗った。ここからポートクランまでは距離にして30km以上あるが、時間的には約45分で着く。この近辺が渋滞する事は殆どなく、毎日快適なドライブを楽しんでいる。そして車のラジオをオンにする。マレーシアは多民族国家で、複数の言語が話されている。ラジオも同様で、マレー語、中国語、タミル語、そして英語のラジオチャンネルがある。氷堂は英語しか理解できない為、毎日英語のラジオをバックグラウンドミュージックにしながら、ポートクランまでの道のりを通っていた。

そしていよいよポートクランに着いた。通常エリアと保税エリアを分けるゲートが見えてきた。

ノースポート・ゲート

このゲートを超えると保税区であり、そこから先は入場許可を持つ人しか入る事ができない。そして氷堂は毎朝このゲートを前にする度、一度深呼吸して、そこで働く事の意義を黙想するのが日課になっていた。氷堂にとって保税区は神聖な場所であり、ここでの仕事に誇りを持っているのだ。今から彼の一日が始まる。そしてこのゲートから先に、知られざるコンテナリースビジネスの真理があるのだ。

ポートクランはマレーシアで最も大きな港であり、東南アジアの巨大ハブ港としても知られている。そして一口にポートクランと言っても、サウスポイント、ウエストポート、ノースポートの3つのエリアに分かれている。サウスポイントは主に内航船の為の港で、海外から届いた貨物がこの港で内航船に載せ替えられ、ボルネオ島に向けて出発する。マレーシアの国土は半島側とボルネオ島側に分かれている。その中に合計13の州と3つの連邦直轄領があるが、ボルネオ島側にはサバ州とサラワク州、そして連邦直轄領のラブアン島があり、そこに向けた貨物の多くはこのサウスポイントから送られる事になる。

次にウエストポートはこの3つの港の中では比較的歴史が浅い港だが、現在ではポートクランの中心地となっている港だ。3つの港の中で最も敷地面積を潤沢に有しており、現在も拡張工事が続けられている。特に現会長のグナナリンガム氏により1994年に民営化が実現して以降、規模の拡大に成功してきた。グナナリンガム氏の祖先はスリランカから来たと言われており、彼は幼少期をシンガポールで過ごした後、マレーシアで港湾の発展に尽力してきた人物だ。特に1997年に生じた金融危機の際に、近隣国の港湾が緊縮財政になったのとは対照的に、マレーシア政府に働きかけ、積極的に財政出動し、その結果、多くの船を寄港させる事に成功した。それ以降、ウエストポートは拡大の一途を辿っており、現在のポートクランの好景気の源泉となっている。ちなみにグナナリンガム氏は2021年のForbes誌のアジア版長者番付に初めて登場しており、彼がどれだけマレーシアの港湾ビジネスに尽力してきたかを伺い知る事ができる。

そして最後のノースポートだが、ここが氷堂の職場である。ノースポートもウエストポートと同じく民営化されており、現在ではサウスポイントの業務を管轄する様にもなっている。このノースポートはウエストポートと同じく、コンテナの積み替えのハブ港として機能している。近年は規模ではウエストポートに負けているものの、ポートクランの港湾の行政業務においては中心的な役割を果たしており、マレーシアの、いや東南アジア全体の物流を舵取りする上で、極めて重要な役割を果たしている。

ノースポートの入り口のゲートの前には、コンテナトレーラーが行列を作っていた。これらのトレーラーのコンテナは空の状態のコンテナである。なぜなら外地から届いたコンテナがマレーシアの市内の倉庫に運ばれ、荷物が出された後に戻ってくるからである。一方で混雑を回避するためにコンテナヤードのゲートは幾つもあり、最終的にコンテナの置き場に近いゲートからトレーラーは入場する事になる。この点でポートクランの港湾は日本の港湾とは異なり、巨大な敷地面積を有してはいるものの、保税区が一か所にまとまっている為、非常に効率的な運用が行われている。その為、トレーラーの運転手がコンテナの荷物を引き取るために、日本の様に何時間も待たなければならないという事は殆ど発生しない。つまり非常に効率的な運用が行われているのだ。というよりも効率的に運用しなければ業務が回らないほど、取り扱うコンテナの物量が多いのだ。

ゲートを超えた氷堂は、時速60km程度で走るトレーラーを横目で見ながらアクセルを踏んだ。車のメーターは100kmを超えているが、道幅の広い保税区では全く問題ない。そもそも保税区内に乗用車は殆ど走っておらず、トレーラーかトラックばかりで道幅が非常に広いため、快適に運転をすることができるのだ。保税区の中ほどまで進むと、氷堂は左折し、ガントリークレーンが並ぶ海岸に近いエリアへと向かった。このエリアに入るのに、もう一度ゲートを通過する必要がある。このゲートも先ほどのゲートと同様に、許可証を持っていないと通過する事が出来ない。そしてここから先が港湾荷役の現場となる。

2020年、未曾有のパンデミックが世界を襲った際、ポートクランもその影響を被る事になった。そして実際に港湾荷役の現場でもクラスターが発生してしまった。この土地で港湾荷役を担うのは殆どがバングラデシュ人かパキスタン人の外国人労働者であり、彼らは10人程度で集団生活を送っている為、クラスターは避けられなかったのだ。

この事態を重く見た港湾当局は、保税区に入場する外国人労働者全員にコロナの陰性証明を要求する事にした。しかもその頻度は毎週だ。抗原検査にかかる費用は約3000円で、政府からの援助は1回目のみ半額の援助があるものの、2回目以降はない。これを外国人労働者全員に毎週行なう訳なので、事業者の負担は限りなく大きい。しかしこの全員検査を行って以降、時折陽性者は出るものの、クラスターが起きる事はなくなった。その結果、港湾の業務が滞りなく進むようになったのだ。ただこのような港湾荷役の業務を行なう者に対する全員検査は、全世界的な潮流となっており、ポートクランはそれに従ったに過ぎない。一方で日本の港湾はコロナの検査を全く実施しておらず、海外の専門家からは「安全を軽視している」という厳しい指摘もある様だ。

そしてこの最後のゲートを通過する際には、コロナの陰性証明を提出しなければならないのだが、コロナの検査が義務付けられているのは実際の現場労働を行なう労働者だけで、氷堂の様な管理職の者には義務付けられていない。氷堂はゲートのセキュリティに通行証を見せると、彼は笑顔でゲートを開けてくれた。いや、仮に通行証を忘れたとしても、氷堂はセキュリティとは顔なじみなのでゲートを開けてくれただろう。

そして遂に氷堂は自社が管理するコンテナのエリアに辿り着いた。山の様なコンテナがそこにはある。

高積みコンテナ①

これらのコンテナを前にしたその時、氷堂のスマホが鳴った。


第2話はこちらから(途中まで無料でご覧頂けます)。https://note.com/malaysiachansan/n/n6a1943310e0e?magazine_key=m0838b2998048

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香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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