オラの国を行く  ~はじめに~

その頃、国会議員の私設秘書として議員事務所で働いていた。一年も仕事をすると大体のルーチンは決まっていて面白いといえば面白い、退屈だと言えば退屈な日々が続く。最初にお世話になった(議員秘書の言い方)議員は大臣在職中に亡くなり事務所が閉鎖になり、しばらくは民間で働いていた。
その後、二人目の議員につき担当は経理、悪名高い政治資金の管理である。と言っても上司がいてその指示で作業をするので、要は下働きである。気楽である。

私設秘書だから特に定年もなく、先生が落選しない限り、よほどの間違いをしない限り、いつまでも古だぬきで居座っていられる。現に議員事務所で実権を握っているのは長いこと議員秘書として議員と苦楽を共にして働いていた人がそのまま院政を敷いているところが多い。(当然、私はお茶くみだからそうはなれないが・・・)
「このままでいいのか?」という思いが時に大波となって押し寄せ、私の人生には暗い未来しか見えなかった。
「辞めます」「辞めたい」というには想いは、いつも「生活はどうする」「お金はどうする」「後悔するぞ」と言うささやきに負けていた。

以前から興味があった南米の楽器「ケーナ」を習い始めたのはその頃だ。 最初は体験で参加したが、かなりミーハーな動機で習う決意をした。先生のクラスがかの有名な俳優、高倉健さんの家の近くにあったからだ。その頃はご存命だったから途中で会えるかも・・・と思いながらわざわざご自宅の前を通って通っていた。健さんの本名の表札がかかった大きなお屋敷を見上げながら、ケーナの先生が「自家用車で出かける健さんを見かけたよ・・・」という言葉にわくわくしていた。そんな動機だからケーナの腕が上がるわけはない。
ケーナの才能はなかなかつぼみにもならなかったが、お茶休憩の時に先生との話は魅力的だった。そんな中で南米の国々の言語がスペイン語であるということ、スペイン語の話者が世界で一番多いこと、先生は南米の地図を指しながら魅力ある国々の話をしてくれた。最初はふーんという感じで聞いていたが、ある日、「先生、わたしケーナを習っているんだからスペイン語も習った方が良いですよね」

そう思ったとたんに心配だったお金の問題も、仕事を辞めてぐずぐずしている自分の姿もどこかに吹き飛んだ。お金は少しでも毎月入ってくる「年金」がある!!!日本を離れてしまえばぐずぐずしても何とかなる日本にいるより諦めがつく。なんとかなるという根拠のない自信だけしかなかった。                        「辞めてスペインに行こう」                        

なんでスペイン? それはこれから・・・




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