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汝、言葉の毒を知り給へ

「言葉を大切にしているんですね」

言われた時はとても嬉しかった。自分でも言葉は大切にしたいと思っているから、人からそれを言われた時は、認められたような気がして、それは…それはもう嬉しかった。

でも、大切にしていても使い方を間違えることがある。そういう時は自分で気がついたら、なるべく早く、なるべく丁寧に間違いを説明し、謝罪をするようにしている。

言葉が毒になることをよく知っているからだ。

他者の言葉は人生を豊かにする。言葉は美しい。言葉は心の傷を癒す薬にもなる。でも、それを知っているから大切にしているわけではない。むしろ、言葉が毒となり、呪いになることを知っているから。時として人の心を殺すことも、そして文字通り人を殺すこともあるから、大切にしなければいけないと思っている。

人を不愉快、不安にさせる。人の気持ちを蔑ろにする。人の自信や肯定感を奪う。それが言葉の毒だ。これがまた即効性もあり、遅効性でもあり、ダブルで効く厄介な毒だ。一時的にマイナスな気持ちになるだけではなく、何気なく言われた一言で一生悩む人もいる。普段は気にしていなくても、ふとしたことで思い出し、心を蝕む言葉がある。

しかも、薬よりも毒の方が強い。一つの毒に対して他者がどれだけ薬を持ち寄っても、なかなかに治せないのが更に厄介である。「もう大丈夫、気にしない!」と思っても、ふとした時にぶり返す。

そんな言葉の毒を知っている人にこそ、続きを読んでほしい。


言葉は充分に、心に生涯にわたり深い深い傷を与え続ける毒たりえる。

だから言葉は正しく使わなければならない。相手にとって毒となり得る可能性があるなら、その毒を取り去る薬となる言葉を迅速に処方するのは当たり前だ。軽率に他者の人生に呪いをかけるなどという残酷なことがどうして出来ようか。

だが、言葉の毒を知っている人ほど、言葉を大切にするから、毒を発することも少ない。そして毒に気づく可能性も高く、気づけば対処までしようとする。世に言う「律儀」「誠実」という人物はこれにあたると思う。

もちろん、どんなに気をつけていても自分で気づけないこともある。自分で気づかないということは、それが毒になると思っていないからだ。だから、そのまま放っておかれる毒ほど、発した本人は気にしてもいないし、覚えていないケースがほとんどである。

そして、皮肉にも人に毒の言葉を与えがちな人ほど、他者からの言葉の毒が効かない。

軽率に人に呪いをかける人間ほど、呪いは効かない。このシステム、バグってるね。この世界を作った神様に「ゲームバランス崩れてますよ」ってフィードバックしておかなきゃ。ホイミ。代わりに他の人が回復呪文かけたって、なかなか回復しないんだよ。強すぎるんだよ呪いが。やっぱ狂っとる。

そんなこんなで、当たり前だけど、言葉が毒になることを知らない人は言葉を大切にしない。本人も、なにも毒を与えてやろうと思って発しているわけではない。ただ言葉の持つ力を知らない。たったそれだけのこと。

悲しいけどそんな人にとって、言葉は毒にも薬にもならない。

何言われても、その場で感情が動くことはあっても、その場を後にしたら忘れる。たちが悪いと5分前の発言からは考えられないようなことをその場で言い始めるからね。そりゃ言葉に責任はとらないし、発言と行動は一致しないよね。だって、意味ないし覚えてないんだもん。人から言われたこともあんまり覚えてない。毒は吐きっぱなし、薬っぽいこともたまにいうけど、それはその場をおさめるために発しただけで、なんの意味もありません。毒だろうが薬だろうが、言った本人は覚えちゃあいません。案外、指摘されればすぐ謝ります。でも何が悪かったとかはわかっていません。理由とか原因とか考えてもいません。謝れば早いし謝るのは簡単だから謝っただけ。申し訳ないとか心の中では思ってないし、思ったとしても5分後には忘れて、平気で自分の権利を主張しだします。彼らにとって、言葉とはその場限りのもので、記憶や感情を伴って持続するものじゃないから。セッションですセッション。その”瞬間“が乗り切れればなんだっていい。悪気はないんです。そう、悪気はない。だからこそ更にたちが悪いと「自分は言葉が下手だから」って開き直ります。いや違うね。言葉を上手に使おうとする努力もせずに、あわよくば相手に都合よく解釈してもらおうとしてるだけだね。本当に言葉を使うのが苦手なだけで心根の優しい人間は、伝えることにも汲み取ろうとすることにも一生懸命で、下手ながらも言葉を大切にしているし、その心根の清さは滲み出て自然と伝わるものなんだよ。そもそもの性根がわがままなだけなのに「言葉が苦手」? 甘えんな。こちらは間違えまくった君の言葉の意図を好意的に汲み取ろうと君の何千倍も努力してるから。それで疲れちゃったから、言わせてもらうね。相手のことを理解する努力も、自分の発言を正しく伝えようとする努力も尽くさないで「言葉が下手だから」?「そんなつもりはなかった」? 悪気がなければ何言っても何してもいいと思ってるんですか? 良いですね〜、周りの人たちが大人だから中身が赤ちゃんのまんまでいられるんですね。おっと、いけない。個人的な思い出が漏れちゃった。でも大丈夫。仮に本人がこれを読んだとして本人にとっては毒にはならんのよ。その場で腹立っておしまい。それか自分のことだと想像も及ばないで「そういう奴もいるのか〜」でおしまい。これを読んで「自分のことかも…」と自分に矢印を向け、そして直そうと努力を継続して次に活かせる人。あなたのことではありません!!!!そんな思慮深い人は大丈夫です!!!!!

いやほんと、彼らにとって本当に言葉に重みなんてないし、言われたことも言ったことも覚えてないんです。だから、毒にも薬にもならないし、人にとって言葉がどういう影響を与えるかなんて微塵も想像しません。

いや。

わかる

これを知ってしまった時、やるせないというか、やりきれないというか。言葉を大切にする人にとって、そんな存在ってどうしても、どうしても、どうしても…心のやり場がないんだな。だって、自分が言葉を大切にしても、相手にとっては何の意味もないから薬にもならないし。一方で、自分は一生もんの呪いかけられて、相手は覚えてない、特に意味もない、ってただひたすらに悲しいよね。親友は「考えてあげるだけ時間の無駄。話すだけ時間の無駄。」と言っていた。そんな。なんて悲しい。

だが、事実。これが現実。

言葉を軽んじる人と大切にする人って相容れない。水と油。きつい。きついけど、だから、徐々にだけど、棲み分けができてくると思う。

やっぱり言葉を大切にする人の周りには言葉を大切にする人が集まる。言葉に責任を持つ人が、誠実で律儀な人が、思慮深い人が、薬を与えてくれる人が集まる。言葉に意味のない人の周りには、言葉に責任を持たない人が、その場限りのやりとりだけ楽しければ良い人が、毒でも薬でもなんでもいい人が集まる。でも、それでいいんです。どっちが良いとかどっちが悪いとかじゃなくて。呪いがかからないもの同士が呪いかけあったって特に被害ないから。

お互いに人間の形してるから、たまにまかり間違って交わってしまうけれど。(大好きな友人はこれを「交通事故」と呼んでいました。予測不可能で回避不可能な事故。誰が悪いとかじゃないんだよな。この考え方、好きだな。)


だから、私は言葉を大切にする人がこれ以上傷つかないように、言葉を大切にしない人を切り捨てる勇気を持つことを祈ります。

言葉を大切にするあなたは、とても思いやりがある人だから、理解できない他者のために忍耐強く、辛抱強く、慈悲深く、努力をしてしまいがち。

うんちに対してでも、最後の最後まで人間扱いしてしまうんよね。

おっと、いけない。

言葉を正そう。

軽率に傷つけてくるような、無自覚にナイフ振り回してくるような奴でも、最後の最後まで人間扱いしてしまう。その気持ちは尊いし立派。でも、これは経験則だけど、それは自分が「こうありたい」っていう風にあれる、ってだけで、ナイフ振り回してくる相手にとってはなんの意味もないの。ぼろぼろになっても凛と咲いているのを、どこかで見ててくれている人はいるから、まったく意味ないなんてことはないけど、少なくとも相手にとって意味はない。相手がナイフを手放すまで待ってたら大変なことになってしまう。こちらから指摘して、刃物置いてもらっても、次話す時にはまた刃物持ってるんだよ。びっくりでしょ。わからないでしょ。わからなくていいです。離れましょう。逃げましょう。いや、それは決して逃げではない。思慮深さが故の棲み分け。戦略的撤退だ。

ぜひ。そう思って離れる勇気を持ってください。

離れたところで相手を傷つけはしません。

それどころか、相手はあなたという貴重な人間を失い大変勿体無いことをしますが、今の相手の器ではそれに気づくことすらできないでしょう。

あなたの価値を理解し、あなたを大切にし、あなたの言葉に救われる人は他にたくさんいる。

あなたが与えられた深い深い傷は、決してあなたの発言や行動、努力で避けられたものではない。

周りの人がいっぱい薬をくれても、なかなか傷が癒えないのも、決してあなたがどうこうできるものではない。

あなたがわかってあげられない人がいるのは、決してあなたの努力が足りないからじゃない。

どうか今晩もあなたがぐっすり眠れますように。

ホイミ。


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