支配すると支配されるという事について考えて書いてみる
こんにちわ~、こんばんわ~。
今回は支配するというのと支配されるという事について考えて書いてみようかなと思います。
あくまで一個人の考えなので絶対これだという事はないですが、なんとなく考えてみたくなったので、それについて自分の考えを書いてみようと思います。
支配されるという事
支配と聞くといいイメージを持たれる方は少ないかと思われます、僕自身も正直好きな言葉ではありません。
支配と言うと、ある一部の権力や富を持った者たちが、下位の者たちを従えるような感じなんじゃないかなと思います。
以下引用です。
ある者が自分の意志・命令で相手の行為やあり方を規定・束縛すること。更に広く人以外のものでも、他に強く働いてそれを左右すること。
この文からも分かる通りやはり一部の権力をもった者達が下位の者の思想やあり方規定を強いる事だと思います。
この支配と言う事についてネガティブな視点で見ると、正直たまったものではありません。
全て支配者の言いなりで、自分の権限はなく彼らが思うようにいいように扱われる、それだけのように感じてしまいます。
事実そういう面も大きいと思います。
ですが、こういう考え方もできると思います。
例えで動物園で例えてみることにします。
彼ら動物は園内の管理者の許す限りの範囲内でなら、自由に過ごせますし
まず管理者(支配者ともとれる)がエサを与え続ける限り、彼らがエサを探し回る事をする必要がないですし、まず食料がなく餓死することはないと思うので生涯安泰して暮らせると思います。
このことに関しても彼ら動物を管理している者たちを、管理者と捉えるのか、もしくは彼らの自由を奪う支配者と見るのかで、見方が変わってくると思います。
では野生の動物達はどうでしょうか、今度は野生の動物たちに視点で物事を見ていきたいと思います。
彼ら野生の動物達には園内の管理者(支配者)は存在しませんし、明日はどこに向かうのか、今現在何をするのか自分たちで決定できる権限があるため、園内の動物達よりも圧倒的に自由と言えると思います。
ですが、彼らは生きていくためにエサを求めて自分で動く必要があります。もしかしたら、狩猟の過程や日々過ごしている中での生存競争の中で息絶えてしまい、短い一生を迎えるかもしれません。
そういう意味では園内の動物の方がある意味幸せに安心して一生を過ごすことができるでしょう。
ですが、野生の動物達のように明日どこに向かうのか、何をするのか
それらを全て自らが決定し生きていく自由
それらの権限は園内の動物達には与えられていません。
そういう意味では圧倒的な自由がある、野生の動物たちの方が幸せでしょう。
そう考えていくと、どちらが正解とも言えないんじゃないかなとも思えてきます。
これを僕らに例えると、確かに支配者と捉えると、かなり悪質に思えてしまいますが、前向きにポジティブな視点で見ると、支配者というよりも管理者と言う風にも見えてくると思います。
僕が何で今回こういう事を考えていたのかと言うと、これから恐らく訪れるであろう完全管理社会についてのとらえ方を一人一人がどういう視点でとらえていくのだろうか?
と思ったからです。
ムーンショット計画について
ここから話ががらりと変わるのですが、ここからの話は僕の想像あくまで個人の考えなので本当かどうかは読み手の方にゆだねます。
ムーンショット計画というのは内閣府が近い将来に予定している、テクノロジーを使った新しい形の未来の街、新しい人間の在り方についてを語っている感じの内容です。
具体的に書きますと…
1.2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現
3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現
5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出
6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現
と言った抽象的な説明で書かれています。
詳しくはこちらのHPでご覧になられるのがよろしいかと思われます。
僕はすべて細かく把握しているわけではないので、詳しいことはわかりませんが、僕が描く最悪のシナリオがこうだと思います。
1で書いてある2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
これについて僕なりに解釈したことを書いていこうかなと思います。
以下1.の詳細から引用
誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター 基盤
2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
僕がこれ見ていて引っかかったのが、この2030年までに1つの仕事に関して1人で10体以上のアバターをアバター1体の場合と同等の速度、制度で操作できる技術を開発運用と言う点です。
このアバターとは何ぞやと思われると思うのですが、一般にあらわされる定義でのアバターとは自分(ユーザー)の分身となるキャラクターのこと。
と定義されているようで、じゃあ実際にどういうことになるのかあいまいな表現で意味がいまいちわかりません。
1.アバター=仮想空間内でのキャラクター説
このアバター=仮想空間でのアバター説なのですが、仮想空間とはをまず説明していこうかなと思います。
仮想空間とは僕なりに説明すると、コンピューター内に仮想的に存在する空間、所謂ゲームとか3Dグラフィックで出来た、仮想的な空間の事です。
映画「マトリックス」や「レディー・プレイヤー1」の舞台となるような世界だと僕は思っています。
見たことない方は興味があれば見てみてください。
そしてこの仮想空間内で操る自分の分身のキャラクターの事をアバターと内閣府は書いているのでは?と僕は思いました。
近い将来壮大な仮想空間に大多数の人達が生活し、遊び暮らすようなサービスが登場するのかもしれません。
そしてその仮想空間での世界が人々にとって価値を見出すとき、その世界でのやり取りや物事はやがて仕事になり、第2の世界として今後発展していくのではと個人的には思いました。
この仮想空間で、新しいエンターテイメントを提供しリアルマネーないし仮想空間内での通貨を稼ぐもよし、ただ遊ぶだけでも良し、いろいろな人達がこの仮想空間で現実での時間を消費するようになるのではと予測できます。
これは何も今に始まった話ではなく、現在一個人である僕もゲームの世界の住人となりつつあります。
バーチャルの世界も楽しいですが、現実が何より大切だと僕は思っているのでその辺はちゃんと考えていかないとなと思っています。
この説の線だと、一人で複数のアバターを操作するという点が少し疑問ですが、仮想空間でエンジョイできるという楽観的な視点で見るなら、そう問題でもないようにも思えます。
ですが内閣府のその真意は不明です。。
2.アバター=人間説
アバター=高度なロボットと捉えるならば、将来一人の頭脳で複数のロボットを動かすような社会を目指しているという事なんじゃないかなと思います。
ではこのロボットとは何なのでしょうか?
普通に考えれば機械で高度に設計し作られたSFにも登場するロボットだと思います。
確かに今後そういうロボットも登場することは間違いないと個人的にはとらえています。
ですが不思議なのが
2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
この部分の文で複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模なタスクを実行と書いてあります。
遠隔操作するのがロボットだけなら、ロボットだけを書いておけばいいものを、アバターと表記されています。
ではこのアバターは=ロボットではないのか?と思ってしまいました。
ではこのアバターとはなんなのか?
僕が思うになので、本当かどうかはわかりませんがおそらくこれは…
僕ら一般市民の事なんじゃないかなと思います。
アバター=大多数の一般市民
少数の優れた頭脳のエリートか又は支配、管理する側の人達がAIとつながり末端の一般市民の意識や思考を操作し、大規模なタスクをこなすため統治し操作していく社会を実現する。
そして、思考を操作意識を操作されている一般市民は自分で意思決定していて自由に生きていると思いながら、そのままの生活を続けていく…
ですが本当は少数の人達とAIが管理し社会の秩序を統制していく完全管理社会
この構図が内閣府が目指している一つの形なのではと思っています。
では具体的にどう国民をアバター化していくのか?
それは今現在猛威を振るっているコロナ騒ぎを自作自演し、それに対抗するためのPCR検査や、ワクチンを国民に投与させ、遺伝子レベルで人を操る土壌を国民に植え付けていく
最終的には5G回線や今後登場するその他技術で、知らぬ間に大衆一般市民はアンドロイド化、アバター化していく。。
そして管理する側の人間たちがAIと結合し、複数のアバターを管理統治する
これにより新しい社会秩序へを向かっていく…
これが僕が予想する最悪のシナリオだと思います。
実際この事をどうとらえるかは人それぞれなので、この管理社会を良しと言えば良しと見れますし、悪しと捉えれば悪ともとらえられます。
その辺りはどう解釈するかによると思います。
ですが僕個人的にはワクチンPCR検査にはかなり懐疑的ですし、正直コロナもあんまり信じていません。
ですがこれは個人が思った事なので、その辺りは今後個人の判断にゆだねられてくるのではと思います。
反対意見の人もいると思いますが
その辺りは僕も承知の上で今回書いてみました。
とまぁ、今回はこんな感じです。
またなにか考え付いたら書いてみようと思うので、よかったら見てってください。ではでは~。
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