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この世界のエネルギーの流れについて自分が思っている事

今回書いていこうと思ったのが、特に絶対こうだー!とは思ってはいないのですがなんとなくそうなんじゃないんかなと、僕が思ったことについて書いていこうと思います。

エネルギーの流れなんていうから胡散臭い話に聞こえるかもしれませんが、僕が今回話すことは、お金や食べ物そして水その他地球のありとあらゆる、存在する者たちと人間との関係の流れについてです。

この世界はうまい具合作られていて、出て行ったものが入ってきて、入ってきたものがまた出ていきめぐりにめぐって又自分に返ってくるようなシステムになっているんじゃないかなと思います。
それはよし悪しに限らず発したエネルギーは帰ってくるという意です。

根拠とかはなくなんとなくそうなんじゃないかと、思っているだけなんですけどね(笑
これはおばぁちゃんが昔からよく口にしている事なんですが、「何かもらったらお返しせにゃいけん」といつも何か近所の人からもらった物に対して良くお返しをします。
僕はそんなおばぁちゃんの行動を見て、毎回お返しせんでもいいんじゃないかなとか、結構失礼なことを思っていました。

ですが不思議なことにおばぁちゃんはお金の苦労どころか物に困ることも、人間関係に困ることもなく周りの人たちが支えてくれて、不思議なほどすべての出来事が良く回っているなと感じます。

ここからは奪うか奪われるかと言う少し過激な表現になるのですが、お金に関しても時間に関しても資源に関しても、何かに費やすエネルギーに関しても日々僕らは意識してかしないか、奪われるか奪うかの中で生きていると思います。

これらの事は自然な流れだと僕は思っていて、僕は正直お金に関しては弱者で情報に関しても弱者と言わざる得ないでしょうし、それに対して不満も特になくそれでも幸せに今暮らしています。

確かに僕は情報弱者でありお金に関しても弱者なのですが、同時にここまで生きてこられた。。
それはなぜか
それは僕が弱者でありながら強者の立場でもあったからだと思います。
どういうことかと言うと、僕は労働力と時間と言う対価を支払いながら、代わりにお金をもらって生きてきました。
それに関してはお金を稼ぐうえでも、自分のための情報を集めることにしても弱者だったからなのでしょう。

そう僕は摂取される立場なのです今現在でも
ではなぜこんな弱者の僕が生き残れたのかと言うと、牛や豚や魚そして水、土から生まれ育つ植物
この地球の恵みを与えられて僕は今現在も命を保ててきました。
僕は意識していないうちに色々なこの世界の物を摂取し続けていたのです。
そう今現在も命を頂いてて生きています。
これが僕が社会的弱者でありながら、いろいろなものを摂取し続けている強者でもあるという事の例だと思います。

今の話では奪うか奪われるかと言う考え方で話を進めていたのですが、こうも考えられます。
与えるか与えられるかと言う考え方です。
摂取と言うとあまりいいイメージは持たれないかと思われますが、逆に考えてみると僕は労働力と時間を雇い主に与え、その分雇い主の需要を満たしている、そしてその雇い主もお客さんや誰かのために与えている。
確かにいい雇い主さんばかりではないと思うので、ブラックな企業もあることだと思います。
しかし、そういうブラックな企業は労働者からとりすぎていると、恐らく長くは続かないでしょうし、早かれ少なかれどこかでガタが浮き出てきます。流れのめぐりが悪くなるんだと思います。
余りにも自らのためだけにお金や他者の時間を奪いすぎたために。

話を戻すと、与えたらその分めぐりにめぐって何かで自分に返ってくる、こういう感覚があります。
確かに根拠がないので何とも言えないのですが
摂取されるという事は逆に考えると自らが他者に与えているとも考えられます。
そして与えられているという事は、その分他者から奪っているとも考えられるのです。

なので今回僕が書きたかったのが、理由はわかりませんが巡りと言う水の流れ風の流れのようなモノがエネルギー的にあって、その流れ(変化)してこの宇宙は成り立っているんだと思います。
宇宙と言われるとそんな大儀な…あんま僕らには関係ないでしょと思われるかもしれませんが。
僕的にはその宇宙の中に地球があって、その地球の中に日本と言う国がある。
なので必然的に宇宙の法則みたいなものが日本の社会に住む僕らにも関係してくるという事なんだと思います。

今回伝えたかったことをあらかたまとめられたような気がするので今回はこのあたりにしておきます(笑
最後まで見て下さった方ありがとうございました。




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