見出し画像

感情か理性か、そのことについて考えてみる


こんにちわ~、こんばんわ~。
今回は感情か理性かその事について自分なりに考えて書いていきたいと思います。

というのも、最近見た映画でそのことについて考える機会があったので、少し書いてみようと思った感じです。

何の映画を見たのかと言うと「ギヴァー 記憶を注ぐもの」という映画です。
この映画の舞台は完全な平等社会管理社会をテーマにしているものです。

この映画の序盤をあんまりネタバレなしに説明していくと、この舞台となる社会は人が行きついた理想郷のような場所で、みな平等でありそれ故突発した人もいません。

そしてそこに住む人々は、その社会が作られる以前歴史の記録を継承していないので、昔の社会の姿人々の生活様式を知りません。

もちろん一般市民への情報開示は限られた事しか開示されていないため、過去の事を調べようがありませんし、特に調べようともしません。

なので、この映画の物語の人々は自分たちが済むコミュニティについて疑問を抱きません。

そんな中この物語の主人公が、その社会で唯一記憶の器として過去の人類の歴史、体験、経験、そしてその時々の感情やすべての情報を継承する仕事に任命されます。

しかしすべてを知っていく中で、この社会の在り方や闇を知ってしまうことになり…

といった感じです(笑

これ以上書くとネタバレになるので気になる方は見てみてください(笑

この映画を見終わった後、僕が思ったのが理性を追求した社会と言いますか

感情よりも理性的な社会であろうとそれを目指した結果この映画の社会のような理想郷が出来上がったのではないかなと思いました。

なぜこの理性優先的な、悪く言えば淡白な社会が出来上がってしまったのか、を僕なりに考えてみました。

恐らくなのですが、感情は人の捉え方にもよるのですが、喜びや楽しさと言ったような正の面と、怒りや嫉妬憎しみや喪失など負の面も持ち合わせています。

この映画の社会に行きつくきっかけとなったのが、戦争や飢餓の原因、人の傲慢さや、平気で人をだます等人の持つ負の面に人々は耐え切れず、感情には正の面もあるにもかかわらず、負の面ばかりに目を向けてしまい、じゃあどうやったらこの負の面という人間の感情を取り除き、社会から排除してよりよい社会を目指せるのか。

こういう考え方に偏りすぎてしまった結果、ああいう社会になってしまったのではないかと、僕は思いました。

一人一人が負の感情と言う面に向き合い、成長する必要があったのではなかと、そう思いました。

彼らは感情の負の面と向き合うというよりも、どうにかそういう人の愚かさ負の面を回避できないのかと考えた結果、感情抑制により感情を稀薄にし、理性を優先し、より合理的な社会を築くのが人としてベストだと考えたのではないかと。

感情を抑制しより合理的で平等な理想的な社会を得ると同時に、人にとって大切な何かを失ってしまっている社会とも見て取れました。

感情が希薄になり、情報も統制管理されているため、暴力的な行動や人をだます行為などはまずこの映画の社会ではありえませんし、そういう概念すらこの映画の社会の人々はあまり意識していないでしょう。

そういう意味では平和的でよい社会とも取れます。
ですが人を思う気持ちや、本当の意味での家族、友情や、恋愛感情、なども抑制されているため、その辺りが欠如している社会は何とも味気ないとも言えます。

ここまでは理性的で合理的な社会を否定しているような書き方になってしまったのですが、僕は正直理性的な社会が嫌いかと言われれば、そういうわけでもありません。

じゃあ、人情味あふれる人間的な社会が嫌いなのかと言われると、そんなことはありません。

そういう人情味あふれる社会は個人的に好きです。

もう一つ過去に見た映画にも、感情と理性で対立しているような社会が描かれている作品があったので、紹介しておこうかと思います。

邦画「太陽」と言う映画です。
主演で神木隆之介君が出ている作品です。


映画の紹介文で以下引用です

21世紀初頭の日本――――。
原因不明のウィルスの拡散によって世界の人口は激変し、
生き残った人類は、新人類「ノクス」と
旧人類「キュリオ」の2つに分けられてしまった。


昔見たので全部覚えているわけではないのですが、この映画の舞台では確か人類が二通りに分かれている感じです。

一つがノクスと言う新人類で太陽の下では生活できず、すごく知性が高く理性的な人種の社会(ちなみに彼らはウィルスに免疫があります。
違ったらごめんなさい。確かそうだったと思います。
シェルターの中で暮らして業種もきれいに管理されており、そこに住む人々は感情が希薄で理性的なため人の持つ負の面とは疎遠です。

なので悪く言えば淡白、よく言えばキレイで気持ちに淀みがなくスッキリして日々を過ごしています。

彼らを劇中で見ていると何か機械的な面もあり合理的で、しかし人間的なドロドロしたモノや欲望も希薄で、凄くさっぱりとしていると言いますか、見ていてキレイな生活や社会だなと。。

感情にとらわれることがないため、変に偏見も持たず常に冷静です。

もう一つがキュリオと呼ばれる太陽の下でも暮らせますが、ウィルスに免疫がない旧人類です。

このキュリオの人々はノクスに管理されており、確か…なのですが色々と物資や医療関連で支援してもらっていた感じです。

このキュリオ(旧人類)は今の僕らに近く、笑ったり怒ったり、憎しみを抱いたり嫉妬したりと、人間らしい感情を持った人間と言う感じです。

この映画を見ていて思ったのが、キュリオという人類社会を見ていると、感情の起伏が激しく、正の部分ももちろんの事、やはり人間の負の面と言いますかドロドロした欲望のような、美しくないような部分がより際立ていて、
こういう感情がある人間の負の部分ばかりに目を向けていると、より理性的な社会を築こうとする人たちが出てきてもおかしくはないよなと思ってしまいます。

ですがこのキュリオの人たちは何か感情の正の部分と言う人にとって大切な面も持ち合わせているので、一概に彼らの事は否定できません。

では僕が思う…あくまで僕個人が思う理想的な社会の在り方とはいったいどんな姿なのだろうかと、今日映画見てて思ったのです。

僕が思う理想的な社会とは、感情と理性のバランスが取れた社会なんじゃないかなと思います。

具体的に述べるのは難しいのですが、感情を全否定せず人の正の面も負の面もちゃんと一人一人が向き合う、向き合っていけることができる社会

そして、一人一人が負の面も正の面もすべて学ぶべき点があり、それぞれが自分を理解しより成長していくために必要な感情なのだと理解できる

そんな社会であれたらいいなと。。

それでいて、理性、頭を使う事もおろそかにせず、心で感じることもおろそかにしない。

どちらかに偏りすぎてしまっても、何かが欠けてしまうのではないかなとか個人的には思います。

なので、結論を言うと、具体的な理想的な社会のイメージ、在り方は僕の中ではここに書き込めるほど、正直何もないです。

が、感情は悪だ!とか感情はいいもの!とか理性と合理性を追求する社会がよりよい社会だ!とか極論を出すのではなく、全て人間にとっては素晴らしく大切な考えであると、僕はそう思いたいので
そういうバランスが取れた社会が僕個人が思う理想社会なのではと思います。

ですが、結局のところこれはあくまで僕の理想であり、別の意見人や別の思想を持った人の視点に立てば、何をばかげたことをと思うのも理解できます。

なので、これはあくまで僕が考えた最高の世界なだけで、結局はこの思想や理想も押しつけであってはならないと僕は考えています。

人の考えや価値観はそれぞれなので、その人その人を尊重できる社会ではありたいと思いますね。

ですが人を傷つけたり、詐欺してお金をだますのが大好きな方もいると思うので、それはそれで僕は何とも言いませんけどね。

主観的な意見言わせてもらうと相手の価値観意見考えを尊重すると言っても、限度がありますよね。

さすがに人を故意に傷つけたり、だます行為は個人的に好きじゃないので同意しかねますけどね(笑

と…僕の中でも矛盾がありますね(笑

人を傷付けたり、騙したりするのが好きな人もいるよねー!OKOK!
そういう価値観もあるよね~と尊重しつつも

主観的な意見ではいやいや、相手を尊重するって言っても限度があるよ!
人を傷つけたり、騙すなんてもってのほか!と言う意見も自分の中であります。

なのでなんか矛盾してますよね。。自分でもそう思います。

今回は理性と感情について書いてみた感じですが、また何か思う事があれば書いてみたいと思うので、よろしければ見て行ってください。

それでは今回はこの辺で。。ではでは~。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?