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僕は天才ではない。文章にしないと覚えていられない。

よくこんなことを考える時がある。

今日1日だらけてしまって無駄にしたなぁ。

しかし、そんな生活をしっかり振り返ってみると、
・犬の餌をやった
・散歩へも連れていった
・家事をした
・外食で食べたことのないメニューを食べた
・友人と電話した
・YouTubeを見た

一見大したことなくても、いろいろとやったことは挙げられる。

十分生きた証ではないだろうか。
何が無駄だったんだろうか。

疑ってしまうのがもったいない。
自分の大切な経験を無駄なものに変えてしまうかもしれないから。

なんだっていいじゃん。
きっと成長してるよ。

一日の生活の中で行ったことは、多少なりとも脳に蓄積され、自分の人生の1ページとなっていく。

刺激的な経験がないと、長い間記憶には残っていないかもしれない。

そういう意味では、記憶できていないのなら、人生経験を積み上げたことにもならず、成長ないかも?

きっと記憶してなくても、どこかには残ってると思うけどね。

もし、立派な生きた証として認めることができないなら、記録するべきだ。

僕は天才じゃない。平凡な一日の小さな感情や小さな体験は忘れていってしまう。

でも、そんな平凡な日々も人生経験として積み上げていきたいなと思った。

大したことはしていなくても、今日一日を胸を張って堂々と生きたのだから。

小さなことでも文章にしようと思う。
これで平凡な1日の小さな感情も記録として残る。
記憶には残らなくても、簡単に思い出せる。

立派な経験として残すことができるんだ。

TwitterでもInstagramでもいい。
ブログでも、このnoteでもいいでしょう。

今日もまた記録した。
ちっぽけな事だが、大切な人生経験を積み上げた。

朝日を眺め、今日1日が始まる実感をした場所から、今日の積み上げを記録しましたとさ。


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