見出し画像

生あるところに必ず死があるのだろうか?〜有性生殖による生命の循環を通して〜

人間を含む多細胞生物は細胞分裂(複製)を繰り返しながら、新しい細胞が古い細胞を内側から押し出すようにして自らを作り変え続けながら存在を保ち続けています。そして、必要なエネルギーは「代謝」によって体内に取り込まれています。

テロメア(染色体の末端にある構造)が細胞分裂を重ねるたびに短くなり、結果的に細胞分裂できる回数が決まっている。細胞分裂ができなくなったとき、いわゆる「死」を迎えることになります。そして、その過程には老化がある。

もし細胞分裂の回数に上限がなければ、自己を生成し続けることができて、いわゆる老化を経ての「死」を迎えることはないのかもしれません。

中村桂子さんの書籍『生命誌とは何か』のなかで、多細胞(二倍体細胞)における有性生殖、つまり「性」こそ命をつなぐための工夫であることが書かれています。

分化して、一つになって、分化して…。

そのような循環において「個体」としては死を迎えても、「種」としては生き続けてゆく。

人生においても、同じだなと思うのです。人は、自分自身、他者を含む「何かとのつながり」を持ち続けて生きている。別れがあれば、出会いもある。

無限に増殖し続けては形を保ち続けることができないからこそ、自己増殖を抑制する仕組みが生命には内包されている。時に、自己増殖の抑制は「取捨選択」という形をとって、取捨選択の中で自分の形を変えながら保ち続けている。

有限性の中で選択する。迷いや葛藤の中で何とか折り合いをつけてゆくことは「生きていること」の一つのあり方なのだな、と少しばかり自分事として捉えられるようになった気がします。

こうして、細胞には原核細胞、一倍体細胞、二倍体細胞(この変形として三倍体などの倍数体もある)の三種類あることがわかりました。ところで、ここで興味深い現象が見られます。細胞はどれも分裂してふえますが、原核細胞と一倍体真核細胞はほぼ無限にふえる能力をもっているのに、二倍体細胞は、ある回数ふえると死んでしまうということです。バクテリアや酵母菌には、本質的には死がないのに、多細胞が生まれたことによって死という概念が登場するのです。

中村桂子『生命誌とは何か』

二倍体細胞だけで存在していては途絶えてしまうわけです。さあ困った。そこで二倍体細胞では一度一倍体細胞になり、接合でもう一度新しい二倍体細胞として甦るという方法が工夫されました。これが有性生殖です。性の様相が比較的簡単な生物で見られる例としては、ボルボックス(オオヒゲマワリ)があります。これは、単細胞の藻であるクラミドモナスが集まった集合体ですが、環境条件が悪くなると、その中の一部が生殖細胞化し、そこから新しい個体が生まれるのです。このような形が、体系化されたのが、現在の多細胞生物の有性生殖の始まりであり、原理的には今も変わっていません。

中村桂子『生命誌とは何か』

つまり、生あるところに必ず死があるという常識は、私たちが二倍体細胞からできた多細胞だからです。本来、生には死は伴っていなかった。性との組み合わせで登場したのが死なのです。逆のいい方をするなら死をもつ二倍体細胞がなんとかして命をつないでいこうとして工夫したのが性だといってよいかもしれません。

中村桂子『生命誌とは何か』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?