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"紙の向こう側"にいる人の存在と縁起〜ハンドシュレッダーによる裁断を通して〜

「サクッ…サクッ…サクッ…」

毎日のようにポストに投函されるチラシや広告。それらの大半は残念ながら手に取っても縁がありません。

「これは裁断してしまっていいのかな…」

ご縁のなかった紙類の一つひとつをハンドシュレッダーで裁断していると、作成主に申し訳ない気持ちが湧きあがる紙もあれば、そうでない紙もあります。

今の時代、電動シュレッダーにかければ紙を大量に短時間で簡単に裁断できますが、あえてハンドシュレッダーを使うと、時間はかかるものの裁断時の振動が身体感覚として蓄積されてゆき、紙の感触や質感に対する感受性が高まってゆくのを感じます。一つひとつの紙に込められた想い、縁がなかったことへの虚しさを供養しているような感覚もあるかもしれません。

紙の質感、記された内容。その一つひとつの裏側に物語があります。限られた紙面にありったけの文字情報を詰め込んだものもあれば、言葉を選び抜いて紙面に適度な余白やゆとりを持たせているものも。

「じっくりと手に取って眺める」

こうした体験は今や希少でありますが、「向こう側」にいる人の存在に対する想像力を育むことにつながっているのかもしれません。

紙には私がない。そのせいか誰だとてこの世界には憎みが有てない。そこには親まれる性情が宿る。顧みない人は無関心であらうが、近づく者は、離れ難い結縁を感じるであらう。私は私の愛する紙を見せて、人々に悦びを与えなかつた場合はない。見れば誰も見直してくれる。良い紙は愛をそそる。之で自然への敬念と美への情愛を深める。

柳宗悦『和紙の美』

紙をどれだけ多く使ふか、之で人は文明の度を測る。だがそのことは量につながる。それよりどんな質のを使つてゐるのか。それで心の度を測るべきではないか。悪しき紙と良き文化と果して縁があらうか。とりわけ日々手にする文翰箋や、著はす書物や、それ等のものにどんな紙を選んでゐるか。手近な紙で、国民の平常が忍ばれよう。和紙をなほざりにする者は、美しさをもなほざりにする。

柳宗悦『和紙の美』

 今の人は紙を粗末にする。粗末にしてもいい紙が殖えたからに因る。或は又、正しい紙を求める心が弱まつたからと説く方がいいかも知れぬ。だがかくまでに紙を疎かにあしらう暮しに、幸福があらうか。物を疎かに扱ふ心は、避けられるだけ避けたい。道徳のためにも美のためにも、望ましいことではない。荒々しい扱ひには、感謝の心が添ふてゐないからである。

柳宗悦『和紙の美』

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