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データしか信じられなくなった世界

ふと、思ったことがある。
最近、「フォロワーが何人いる」とか「バズった」とかよく話題になる。
仕事でも「公式アカウントをどこまで伸ばしたいです」など議題になったりする。

こんなこと言っちゃなんだけど、「だから何なの?」と思ってしまう。
それでふと思い出したものが、子供時代の漫画に描かれていた内容だ。

・コンピュータでデータ解析をしている学校と対決して、追い込まれていくが、最後はデータで解析できない力を少しずつ発揮して勝つ
・「私の戦闘力は〇〇です」みたいな強い敵キャラと戦うが戦闘力が謎の上昇をしていき、勝つ

みたいな展開がよくあった。子供ながらに「最終的にはこのデータを覆して勝つんだろうな」と思ったものだ。もちろん、主人公側には「努力」という裏付けがあったわけだけど。

これって、逆に考えると、

「現実では勝てない」

ということなのだ。もちろんそうでない場合もあるだろうけど、基本的には戦闘力が高い奴には勝てないし、データで解析されている相手には勝てないのだ。
昔は「もしかしたら勝てるかも?」という可能性を感じられる時代だったのだ。努力をすればいつか認められるかもしれないと信じられたのだ。
今は誰もが絶望してしまっているのかもしれない。
どうやったって下剋上は起こらない。
努力をしようが勝つことはできないのだ。

だから見た目にわかりやすい「フォロワーの数」だとか「バズった数」とかそういうものでとりあえず競い合うのだ。
暗い話は読みたくない、観たくない、今の力を持ったまま別の前提が違う世界に転生してそこで勝ちたいと思うのだ。

見た目わかりやすいデータしか信じられなくなった世界、このまま進むと一般的にはわからないデータで優劣を競う世界が来るんだろうなあ、と思ったりする。





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